五輪マラソン代表へ“挑戦”選んだ小原怜 代表権は失うも、補欠見据え次の準備を

折山淑美

“結果待ち”を選ばず 出場を決めた小原

大阪国際女子マラソンに挑んだ小原怜だったが、13位に終わり五輪代表権を失った 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 松田瑞生(ダイハツ)が2時間21分47秒で優勝した1月26日の大阪国際女子マラソン。東京五輪マラソン代表の最後の1枠を懸けた「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)ファイナルチャレンジ」の設定記録(2時間22分22秒)を突破して、代表内定に向けて一歩前進した。

 そこには昨年9月のMGCでは2位に4秒差の3位になり、“ファイナルチャレンジで選考基準を満たす選手がいなければ代表内定”という権利を持っていた、小原怜(天満屋)も出場した。

 武冨豊監督が「出場は本人の希望だった。設定記録突破は甘いものではないから、その覚悟を持って取り組んでいこうと話した」という今大会。その設定記録2時間22分22秒は、日本歴代9位に相当する記録で、2018年9月のベルリンマラソンで松田が出した2時間22分23秒より1秒速いもの。男子の設定記録は日本記録を1秒上回る2時間5分49秒だが、それと比べれば女子は突破する選手が出てもおかしくない。そんな状況の中で“待ち”を選択するというのは危険だったこともある。

 だが、そこへ向け、小原は万全とは言えない状況だった。練習段階で左アキレス腱の痛みが出た上、レース当日も風邪気味だった。武冨監督は「風邪気味だったというのは間違いないし、アキレス腱が痛くなってからは練習の予定を変更するというのも確かにあった。それでもレースに向けては状態も良くなってきていたので、悪くない感じで臨めたと思う」と言う。

余裕があるように見えたが……

万全ではなかった小原。16.7キロ過ぎから徐々に遅れ始めた 【写真は共同】

 ペースメーカーが5人つき、1キロを3分20〜21秒で引っ張る予定だったレース。序盤は12キロまで新谷仁美(積水化学)が設定より1〜2秒速めのペースで引っ張り、最初の5キロを16分36秒で通過し、5〜10キロまでも16分31秒。その後も16分36秒、16分33秒で流れ、フィニッシュタイムで2時間19分台を狙えるハイペースの展開になった。

 その中で小原は、余裕を持って走っているように見えた。「最初からハイペースできつかったけれど、五輪で戦う戦うためにはこのくらいのペースで走らなければいけないと思っていた」と話す。だが、福士加代子(ワコール)が集団の最後尾まで下がって遅れそうになった16.2キロ過ぎでは、小原も集団の後方に位置するようになった。そして16.7キロ過ぎから徐々に遅れ始め、20キロ地点では先頭と20秒差がつき、完全に脱落したのだ。

 本人いわく「左アキレス腱にも痛みはありましたが、レースの途中で右小指の皮がむけてしまい、爪が緩むまでになっていた」という状態。小原は、20キロ以降は5キロごとのラップを17分40秒、18分台とペースを落としながらも走り続けた。「たくさんの応援があったし、たくさんの人が頑張れと言ってくれたので、途中で投げ出したくなかった」と、2時間28分12秒の13位でゴールした。

1/2ページ

著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント