五輪マラソン代表へ“挑戦”選んだ小原怜 代表権は失うも、補欠見据え次の準備を
五輪で戦う意識が足りず
「小原には、このレースではあくまでも、五輪本番で戦えるかどうかという気持ちを持ってレースに臨ませようとしました。30キロ過ぎまで16分30秒台の速いペースで入っていっても、もしそこでもし日本人選手がいれば、本当に五輪に行きたいと思うなら、そこは絶対に負けない意識でやらないとチャンスは回ってこないということは言っていました。やはりそこまでいけなかったということは、それだけの練習ができていなかったということです。
もちろん彼女の五輪に対する思いは強かったと思いますが、“五輪”というステージで戦うという意味での意識や、景色が見えていなかった感じかなと思います。どれだけ厳しいものかというイメージがちゃんとできていなかったために、練習でもどこかで気持ちが切れてしまうという繰り返しがあったのだと思います」
それは2000年シドニー五輪以来、何人もの五輪選手を輩出してきた武冨監督だからこそ、選手たちに期待するものなのだろう。
“補欠”という最後のチャンスのために
こう言って、最後の選考レース、3月の名古屋ウィメンズマラソン挑戦を否定した武冨監督は、応援に来てくれた関係者たちの前でこう話した。
「おそらく補欠と言う権利はまだ残ると思いますが、2008年北京五輪で(教え子の)中村友梨香が出場した時には、(同じく教え子で)大阪国際女子マラソン2位の森本友が補欠になっていました。五輪間際になって野口みずきさんがケガをして出られなくなり、森本に出場の打診がありましたが、その時は準備不足もあったので辞退しました。
今回は東京開催だし、そういうことは許されない大会だと思うし、小原自身も、この大会で気持ちを落とすことがなければチャンスはあると思っています。これを機に自分の練習や足りないところをしっかり考えて、チャンスがあるかもしれないという気持ちで準備をさせていきたい。さらに言えば、前田と切磋琢磨(せっさたくま)をしてもっと高いレベルに自分を引き上げるという気持ちを持ってやってほしいなと考えています」
小原も「厳しいというのは分かっていますが、補欠もあるから、わずかな可能性があるからには、それに向かってやっていきたい」と語る。2016年リオデジャネイロ五輪に続いて秒差で代表を逃した小原だからこそ、武冨監督が期待する成長。それを成し遂げることができるかはどうかは、これからの彼女の意識に懸かっている。