五輪マラソン代表へ“挑戦”選んだ小原怜 代表権は失うも、補欠見据え次の準備を

折山淑美

五輪で戦う意識が足りず

昨年9月のMGCでは4秒差で3位になり、代表候補の1番手となったが、武冨監督に結果を“待つ”選択肢はなかった 【写真:築田 純/アフロスポーツ】

 ファイナルチャレンジの結果を待つという選択肢もあった中での挑戦。武冨監督は、同じチームの前田穂南がMGC優勝で代表に内定している状況下では、その選択はなかったという。「もし1人も決まっていなければそういうことも考えますけど、代表内定者がチーム内に1人いるわけですから。それ以上の結果を残した上で、2人で戦えるようにしたいというイメージがあった」と。

「小原には、このレースではあくまでも、五輪本番で戦えるかどうかという気持ちを持ってレースに臨ませようとしました。30キロ過ぎまで16分30秒台の速いペースで入っていっても、もしそこでもし日本人選手がいれば、本当に五輪に行きたいと思うなら、そこは絶対に負けない意識でやらないとチャンスは回ってこないということは言っていました。やはりそこまでいけなかったということは、それだけの練習ができていなかったということです。

 もちろん彼女の五輪に対する思いは強かったと思いますが、“五輪”というステージで戦うという意味での意識や、景色が見えていなかった感じかなと思います。どれだけ厳しいものかというイメージがちゃんとできていなかったために、練習でもどこかで気持ちが切れてしまうという繰り返しがあったのだと思います」

 それは2000年シドニー五輪以来、何人もの五輪選手を輩出してきた武冨監督だからこそ、選手たちに期待するものなのだろう。

“補欠”という最後のチャンスのために

「名古屋でチャレンジしても厳しいだろうし、もしそれをやれて代表になれたとしても、マラソンを2本やってからではおそらく五輪では戦えないような状態になるので、その挑戦は考えていません」

 こう言って、最後の選考レース、3月の名古屋ウィメンズマラソン挑戦を否定した武冨監督は、応援に来てくれた関係者たちの前でこう話した。

「おそらく補欠と言う権利はまだ残ると思いますが、2008年北京五輪で(教え子の)中村友梨香が出場した時には、(同じく教え子で)大阪国際女子マラソン2位の森本友が補欠になっていました。五輪間際になって野口みずきさんがケガをして出られなくなり、森本に出場の打診がありましたが、その時は準備不足もあったので辞退しました。

 今回は東京開催だし、そういうことは許されない大会だと思うし、小原自身も、この大会で気持ちを落とすことがなければチャンスはあると思っています。これを機に自分の練習や足りないところをしっかり考えて、チャンスがあるかもしれないという気持ちで準備をさせていきたい。さらに言えば、前田と切磋琢磨(せっさたくま)をしてもっと高いレベルに自分を引き上げるという気持ちを持ってやってほしいなと考えています」

 小原も「厳しいというのは分かっていますが、補欠もあるから、わずかな可能性があるからには、それに向かってやっていきたい」と語る。2016年リオデジャネイロ五輪に続いて秒差で代表を逃した小原だからこそ、武冨監督が期待する成長。それを成し遂げることができるかはどうかは、これからの彼女の意識に懸かっている。

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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