僕のターニングポイント〜大切な人との物語〜

駒澤大を13年ぶり日本一に導いた新任監督と今永昇太の静かなる絆

瀬川ふみ子

恩師との運命的な出会い

「大学がターニングポイントになったのは間違いない」と語る今永昇太。プロになるまでの道のりをどのように歩んだのか 【写真:山下隼】

 福岡の北九州市……自然豊かな田舎町で生まれ育った今永昇太(横浜DeNA)は、小学校に入ってソフトボールを始めた。

 そのときから、「夢はプロ野球選手」。

 中学校では軟式野球部に所属。今の姿から想像するに、さぞかしすごいサウスポーとして鳴らしたのかと思うだろうが……。

「僕、ずっとファーストで、エース番号をつけたのは最後の夏だけなんです」

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 強豪高校に入りたい気持ちもあったが……。

「あのころ、福岡だったら九州国際大付高とか東福岡高とかが強かったんですが、自分の力じゃそんな高校に到底届かなくて……家からすぐ近くの北筑高に行きました」

 文武両道の高校。19時半には完全下校しないと部活停止になってしまうため、19時には練習を終えて急いで片付けをしてパッと帰る。帰宅後は、テストに向けて勉強……。

「少ない練習時間の中で、何をやればいいのかとかすごく考えて練習していました」

 2年秋以降に急成長し、福岡屈指の左腕へ。甲子園には手は届かなかったが、伸びのある140キロ超のストレートを投げるサウスポーは、ドラフト候補として名前が挙がるようになっていった。

 でも、「今の力では、プロでは通用しない。それなら、大学に行ってからでも遅くない。大学で力をつけてドラフト1位でプロに行こう」と大学進学を決めた。

「OBの方から東京六大学への勧めもあったんですが、そっちは誘われているわけではなくて自分で受けに行くって感じで。それなら、わざわざ福岡まで見に来てくださって誘っていただいている駒澤大がいいだろうと思って決めました。小椋正博監督(当時)は武田久さん(元北海道日本ハム)や増井浩俊(オリックス)さんら好投手を育てたということも聞いていたので」

大学入学直前の監督辞任という思わぬ出来事が起こるが、運命に導かれたかのように、その先に恩師との出会いが待っていた 【写真:山下隼】

 だが、駒澤大合格後の12月、小椋監督が急に辞任。

 しばらく次期監督が決まらなかったが、年が明けた2月3日、当時、JR東日本東北のコーチをしていた西村亮監督が急きょ就任する形となった。

 そして、今永が高校3年生の2月、東京都世田谷区の寮に入寮したとき、初めて西村監督と顔を合わせた。

 その後、ブルペンで投げさせてみると、その球を見て驚いたという。

「ストレートが抜群に良かったんです。高校3年生でこれだけの真っすぐを投げられるのはすごい。えげつないレベル。こんな高校生いるんだ、と思いましたね。逆に変化球は全く……というレベルでしたが、チームを見渡す限り投手陣が手薄でしたし、近いうちにエースになる子だなと。1年生であっても早いうちから使えるのであれば使いたいと思いました」(西村監督)

 魅力あるピッチャーだからといって、西村監督が今永を特別扱いすることは一切なかった。

「今まで大学野球の指導経験がない中、急に監督をやることになって、しかもコーチもいなくて……これからどうやっていこうかっていうのが当初の正直な気持ちでした。でも、思ったことは、自分は監督ということではなく、社会人野球を経験した駒澤大野球部の先輩が後輩と一緒に野球をやるという感覚でやっていこうと。練習メニューも、学生コーチや上級生と話をして作っていこう。指導も、必要とされるときにアドバイスするぐらいでいこうと。今永に対しても他の選手と変わらずそのスタンス。特別に何かをしたということは何もなかったですね」

 選手の自主性を重んじ、適度な距離を置いて見守る西村監督について今永は、「高校のときも自分で考えて練習していたんですが、大学に来てもそうやって自分で練習メニューを考えてやらせてもらえたのが良かったです。やらされてやる練習よりも、『自分がこういう選手になりたいからこれをやろう』と練習した方がはるかに力になると思う。西村監督のやり方が、僕にはとてもやりやすかったです」と話す。

いきなりの死球から奪三振ショー

駒澤大では1年から神宮のマウンドへ。初登板はガチガチに緊張していたという 【写真は共同】

 そうして少しずつ力をつけていく中、今永のデビュー戦として西村監督が選んだのは、1年春のリーグ戦、4カード目の日本大2回戦。これに敗れると最下位が濃厚で入替戦行きとなる大事な大事な“最下位争い”。3対2と1点リードした8回裏、2死一、三塁の場面だった。

「このぐらいならいけるかな」と、マウンドに送り出した西村監督に対し、今永は「え、こんな場面でマジか……」と思いながらマウンドへ。

 ガチガチに緊張していた今永は、案の定、2球連続ボール。

「高校時代、4回戦が最高でしたし、あんな大舞台を経験したことがなかったので、もう、宙に浮いている感じというか、地に足がついていないというか……」

 そして、3球目、デッドボール。2死満塁。

 そのときのキャッチャーは、後にプロでも一緒になる3学年上の戸柱恭孝(DeNA)。戸柱に対し、ベンチの西村監督は「真ん中の高めでいいから構えろ」と指示。

 そんなことには気付かない今永は、マウンドから「インコース? アウトコース?」と戸柱に向かって必死にサインを送るが、戸柱は真ん中高めに構える。

「そこで察しました(笑)。インだ、アウトだって狙ってもいかないんだから、真ん中目掛けて真っすぐを投げろということなんだなと(笑)」(今永)

 思い切って腕を振って投げ始めた今永は、次打者を三振に仕留め、チェンジ。

 続く9回もマウンドに上がると、なんと、三者連続三振に切って取って試合を締めた。

 今永の糸を引くような伸びのあるストレートと、ハートの強さを信じた西村監督の大胆な起用によって、今永は最高の大学デビューを飾った。

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