僕のターニングポイント〜大切な人との物語〜

駒澤大を13年ぶり日本一に導いた新任監督と今永昇太の静かなる絆

瀬川ふみ子

「選手ファーストの監督を日本一に」

日本一を決する明治大戦を前に監督から伝えられた言葉を受け、エース今永は胸が熱くなったという 【写真:山下隼】

 翌春、今永は2年生にして駒澤大のエースになった。

「新3、4年生投手の駒不足ということもあって2年生ながらエースになったんですが、『自分がやるしかない』と思ったんでしょう、自覚が出ましたね。何も言わなくても自分できっちりやれる。練習態度にしてもマウンドでの姿にしても言うことがなかったです」と西村監督。

 2年春はリーグ優勝こそならなかったが、今永自身は最優秀投手賞とベストナインを獲得。秋は、1勝6敗と不振。チームも最下位となり入替戦に臨んだが、「開き直って投げた」という今永は、1回戦で東洋大相手に15三振を奪い3安打完封。2回戦は1点リードの8回から登板し、2イニングで5奪三振零封。「入替戦の硬さを押しのけて最高のピッチングをしてくれた」と西村監督が言う通り、最高のピッチングで一部残留を決めた。

 だが、「ドラフト1位でプロに行って活躍するにはまだまだ」と感じていた今永は、石田健大(法政大〜DeNA)や山崎福也(明治大〜オリックス)ら大学球界屈指の左腕たちの動画を繰り返し見ては見よう見まねで変化球の練習をした。

「あとは、走者を出してからギアを上げてしっかり投げられることを意識して、持ち味の糸を引くような、地を這(は)うような真っすぐを常に求めて投げていました」

 さらに一段階レベルアップした今永は3年春、4勝1敗、防御率0.87で1位。秋は7勝2敗の好成績を残し、チームを26季ぶり27度目のリーグ優勝に導いた。

 さらに、明治神宮大会でも快投を続ける。初戦となった2回戦で中部学院大相手に完投勝利。続く準決勝の東京農業大北海道オホーツク戦では、登板せず逃げ切れそうだったが、3点リードの最終回、無死満塁の大ピンチを迎えてしまい、今永投入。そこでも期待に応え、後続を抑えて決勝進出を決めた。

 決勝の相手は明治大。後にプロに進む選手がズラリと並ぶスター軍団。そんな強敵を相手に、西村監督は当然、今永を先発させる予定でいたが……。

「まともにやったら勝てない。先発は今永だ、と相手の明治も含め誰もが思っていたでしょうから、その想定を崩すという目的でも違うピッチャーでいこう。準決勝では最終回だけとはいえ今永を登板させてしまい、その疲労度も考え、今永は後ろで使うことにしました」

 西村監督は今永を呼んでそれを伝えたのだが……指揮官の言葉に胸が熱くなったという。

「決勝で1年生の東野(龍二/現Honda)を先発させるという決断は、監督として本当に勇気がいったと思います。もしそれで負けてしまったら、何か言われるのは監督。それでも、自分の疲労のこと、チームが勝つべく最善の作戦として、僕を後ろ(リリーフ)に回してくれた。それだけではなく、1年生を先発させる意図まで伝えてくれ、さらに『決勝で先発させられなくて申し訳ない』と、いち選手の僕を気遣ってくれた。その配慮がすごくありがたくて、意気に感じて、マウンドに上がったら絶対抑えて勝ってやるって思いました」(今永)

明治大との決勝を制し、神宮大会優勝を果たした駒澤大。今永も好リリーフを見せ、チーム13年ぶりの栄冠に貢献した。写真は試合後に胴上げされる西村監督 【写真は共同】

 試合当日、神宮球場に向かう前、西村監督は珍しく選手を集めた。そして、「太田誠監督(※1971年に駒澤大監督に就任、35年間で東都大学リーグ通算501勝を挙げた名将)の時代から追いつけ追いつけでやってきた明治大と全国の決勝で戦えるなんて、こんな幸せなことはない。絶対勝つぞ!」と檄(げき)を飛ばす。

「普段口数の少ない監督が、感情を表に出して僕たちを鼓舞してくれたことで、みんなの士気が一気に高まりました。2年10カ月ほど前、チームが大変な状況の中、この大学の監督を引き受けてくれた。いつも選手ファーストでやってくれた監督を、日本一の監督にしたいって僕も思ったし、みんなもそう思ったんです」(今永)

 熱い魂が投入された駒澤大ナインは、明治大相手にがっぷり四つの戦いを見せる。先発の1年生・東野が5回までゼロに抑え、0対0。6回表、満を持して今永がマウンドへ。イキのいいピッチングで流れを呼び込むと、駒澤大はその裏に1点先制。8回にも2点を追加。今永は最終回までの4イニングをしっかり抑えて3対0で勝利。13年ぶり5度目の日本一を成し遂げたのだ。

「みんなもよくやってくれましたが、中でもやっぱり今永の好投あっての優勝でした」と西村監督が言えば、「決勝の朝、西村監督がみんなを鼓舞してくれたからこその試合でした」と今永。

 監督と選手、特に、監督とエースの絆が大きな力を発揮した優勝だった。

 今永は続ける。

「優勝とは無縁の野球人生だった僕にとって初めての日本一。周りには甲子園優勝とか高校JAPANとかエリート選手がいっぱいいる中、とても肩身が狭かったんですが、あの優勝で自信がつきました」

 この優勝によって、今永の評価はますます上がり、翌年のドラフト1位候補として注目されるようにもなった。

 だが、順調にきていたものが、翌春に崩れてしまう。左肩を故障し、天国から地獄へ……。小さいころから夢見ていたドラフト1位でプロ入りはなるのか、今永の正念場の一年が始まっていく。

(企画構成:株式会社スリーライト)

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今永昇太(いまなが・しょうた)

【写真:山下隼】

1993年9月1日生まれ。福岡県出身。背番号21。投手。左投左打。177センチ、82キロ。プロ5年目。北筑高では甲子園出場こそかなわなかったが、140キロ超のストレートを投げる左腕として注目を集めた。駒澤大に進学すると1年春にリーグ戦デビュー。2年で早くもエースの座をつかみ、春のリーグ戦では最優秀投手賞とベストナインを受賞。3年秋は7勝(2敗)を挙げ、駒澤大を26季ぶり27度目のリーグ優勝に導き、明治神宮大会でもチームをけん引し日本一へと上り詰めた。2015年ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団。1年目から先発ローテーションに定着し8勝、2年目はチーム最多の11勝を挙げる。3年目の18年は不振に陥るものの、昨シーズンに輝きを取り戻し、左腕では12球団トップの13勝をマーク。オフに行われたプレミア12では侍ジャパンの左腕エースとして世界一に貢献した。5年目の今季、ハマのエースとしてはもちろん、東京五輪での活躍も期待される。

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