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近鉄OB同窓会
令和も語り継がれる近鉄伝説の数々
仰木監督は「嫌いだけど凄い」理由とは?

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「10・19」の悔しさを乗り越え、翌年にチームをリーグ制覇へ導いた仰木監督(写真左)。右は中西コーチ
「10・19」の悔しさを乗り越え、翌年にチームをリーグ制覇へ導いた仰木監督(写真左)。右は中西コーチ【写真は共同】

 1949年に「近鉄パールス」としてスタートした猛牛軍団は、2004年を最後に球団消滅という形で長きに渡った歩みに終止符を打った。その熱く、激しい歩みの中でも大きな役割を担ったのが、仰木彬監督であり、数々の近鉄戦士たちである。1988年、89年のメンバーに当時の監督、チームを振り返ってもらい、自らの中に息づく「近鉄魂」を呼び起こしてもらった。

――ここからは仰木監督について話したいと思います。近鉄を優勝に導いた監督で、いろいろと豪快なエピソードも多いですが、選手としてはどんな風に感じていましたか?


阿波野 僕は感謝の思いが強いですね。信頼して使ってくれたということもありますけど、その後にいろんな監督の下でもプレーしましたが、比較すると「選手との距離が近い人」だったかなと思いますね。それはユニフォームを着てるときだけじゃなくて、お酒の席もセッティングしてくれたりして、いろんな形でお世話になりました。監督としては、アイデアマンでしたね。データとかも大好きでした。


――いつも手にメモかなんか持ってはりましたよね?


阿波野 あれには対戦打率とかが書いてあったんですよ。僕も聞いたことがあるんです。「どういうふうに使ってるんですか?」って。そしたら「打ったことないピッチャーに対しては出さないけど、1本でも打ったことがあればその感覚をバッターは必ず覚えている。それが有利になる」と。


――そういう相性なんかは好きでしたよね。選手を乗せるというか、人心把握術はすごかったなと思いますが?


光山 そうですね。でも、仰木さんの話の時、僕はいつも言うんです。「美化され過ぎだ」と。僕はお酒とかの場にも連れてってもらったことないので!


加藤 俺も。1回もないよなあ?


光山 メシも1回もないです。


――そういうのは使い分けてたんですかね?


大石:まあ、そういう機会がなかったんでしょう。

ベースボール・タイムズ
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プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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