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斎藤佑樹、プロ10年目に臨む決意
あるがままに、そしてがむしゃらに――
日本ハム・斎藤は2020年、区切りとなるプロ10年目を迎える。長年、斎藤を取材しているベースボールライター石田氏がその心境に迫った
日本ハム・斎藤は2020年、区切りとなるプロ10年目を迎える。長年、斎藤を取材しているベースボールライター石田氏がその心境に迫った【花田裕次郎】

 北海道日本ハム・斎藤佑樹は正念場である――。酸いも甘いも経験したプロ生活は2020年で10年目を迎える。


 06年、早稲田実3年夏の甲子園決勝で、駒大苫小牧と延長15回再試合の末に優勝を勝ち取り、“ハンカチ王子”として日本に一大ブームを巻き起こす。早稲田大でも歴史ある東京六大学で史上6人目の30勝&300奪三振を記録、1年春と4年秋には大学日本一を勝ち取った。それぞれのカテゴリーで圧倒的な成績を残したアマチュア球界のスターは4球団競合の末に日本ハムにドラフト1位で入団。新人から先発ローテに入ると6勝を挙げ、2年目には開幕投手に抜てきされると、完投勝利を挙げた。プロ球界でも輝きを放つべく、スターとしての階段を踏み出していた。しかし、2年目オフに発覚した右肩関節唇損傷から、その歯車が狂っていく。プロ3年目から7年間で挙げた白星は4つのみ。


 ここ2年は未勝利に終わり、区切りのシーズンに挑むその心境は幾ばくか。長年、斎藤の取材を続けるベースボールライター石田雄太氏が単独インタビューを敢行。そこには、あるがままの自分を受け入れた上で、さらに今季にかける強い思いを持つ斎藤がいた。(取材は12月14日に実施)

子どもたちとは一緒に楽しむことが大事

野球チームに所属していない小学生を集めて野球に触れ合ってもらう早稲田大野球部OB主催のイベントに2年連続参加した斎藤。「プロ野球選手は楽しい存在であってほしい」の言葉通り、笑顔を絶やさず、小学生との野球を楽しんだ
野球チームに所属していない小学生を集めて野球に触れ合ってもらう早稲田大野球部OB主催のイベントに2年連続参加した斎藤。「プロ野球選手は楽しい存在であってほしい」の言葉通り、笑顔を絶やさず、小学生との野球を楽しんだ【写真提供:高木遊】

――2年連続で早稲田のイベント(早稲田大野球部OBを中心に野球チームに所属していない小学生を集めて野球と触れ合うイベント)に出てみて、一番何が印象に残っていますか?


 自分自身がとても楽しんでしまったことですね(笑)。今回は“投げる”にフォーカスして取り組んだのですが、野球ボールからではなく、フリスビーを投げるなど違った視点から入ったら、子どもたちもすごく楽しそうでした。投げ方を全然気にしないで、思い切りマトを目掛けて投げる姿が、すごくいいなと思いました。やはり野球ってこうだなと思いましたね。


――投げ方をテーマに子どもたちに接した時に、「こうして教えたらいいんだ」とか何か感じたことはありますか?


 基本的に僕は教えることはしていません。(子どもたちにとって)プロ野球はエンタメで、プロ野球選手は楽しい存在であってほしいと思うので、今回はプロ野球選手が同じ視点で一緒にボール投げを楽しんでくれていることが一番大事なことではないかと思いました。


――昔は地上波で野球を放送していたので、子どもたちは教えてもらわなくても見よう見まねで野球で遊んでいたのですが、今だとチームに入らないとなかなか野球ができない環境です。野球を教えられる、あるいは野球で遊ぶという部分で、斎藤選手の原体験はどうですか?


 両方あったと思います。父親に教えてもらっていましたし、小学校時代は近くに野球場があったので、みんなで試合をしたり、フリーバッティングで誰が一番遠くに飛ばせるか競いながら遊んでいたのを覚えています。


――野球で遊ぶこととお父さんに教えられる野球というのは似て非なるものでしたか?


 似て非なるものですね。父親に教えられたのは、打つというのはこう打つんだよという(野球の)型を作ることでした。チームにいっても結果を出さないといけなくて、それは苦しいことでもありました。


 でも、遊ぶということは何も考えずに遊ぶことじゃないですか。平日に仲間で集まって、ボールを遠くへ飛ばすとか、遠くへ投げるとか。野球は楽しいよ、と思わせてくれましたね。

3つ上の兄が野球選手としての基準に

小学校時代の野球の思い出を語る。3つ上の兄の存在が野球選手としての斎藤に大きな影響を与えた
小学校時代の野球の思い出を語る。3つ上の兄の存在が野球選手としての斎藤に大きな影響を与えた【花田裕次郎】

――お父さんが野球を教えようと思ったのは、やらせたかったのか、それとも斎藤選手が野球をやりたがったのか、どちらでしょうか?


 父も野球をやっていましたし、きっと最初はやらせたかったと思います。覚えているのが、僕が3歳の時に、父と硬式ボールでキャッチボールをしていて、バーンと頭に当たるんですよ。その瞬間、野球が嫌いになって、1回野球を辞めました。そこから父親はもう教えなかったと思います。


 でも、兄が3つ上にいて、友達とのコミュニティーで野球を楽しんでいたり、地域の小学校の野球チームに入っていて。僕も両親に連れられて、それを見ていると、なんか「楽しそうだな」と思って、それが野球を始めたきっかけですね。


――お兄さんもお父さんに教えられていたのですか?


 教えられていましたね。兄が野球を始めたきっかけは知らないですけど。


――お兄さんに野球では敵わないという気持ちはずっと持っていた?


 僕が中学校で、兄が高校3年生の時くらいまでは思っていました。


――そのことは自分が野球がうまくなることに役に立ちましたか?


 かなり、役に立っていたと思います。兄は中学まで投手で、高校で野手になったのですが、その背中を見て、小6ではこれぐらいの選手になって、中3ではこれぐらいの選手になって、とバロメーターになりました。自分がその基準を越えていないと嫌でしたね。


――今は小学生が野球を楽しむ機会が著しく減っている状況がありますが、今の子どもたちに対して、こうしてあげられたらいいなと思っていることはありますか?


 きっと時間帯やスポット的に使っていない球場がたくさんあると思うので、その場所を解放してあげられればいいのではないか、と思います。現に僕らがやっていたグラウンドはちゃんとした野球場ではなかったですが、ふらっと行っても遊べました。それが、せっかくふらっと行っても遊べないと嫌じゃないですか。今の時代はスマホもあるし、「今の時間空いてるのかな?」「じゃあ行くか」って、そんなことができたらいいな、とは思います。

石田雄太

1964年、愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大学を経てNHKにディレクターとして入局。『サンデースポーツ』などを担当する。92年、フリーランスとなってTBS『野茂英雄スペシャル』『イチローvs.松井秀喜 夢バトルSP』『誰も知らない松坂大輔』などを手掛け、『NEWS23』では桑田真澄の現役引退をスクープした。またベースボールライターとして『Sports Graphic Number』『週刊ベースボール』に連載コラムを持つ。近著に『平成野球30年の30人』『大谷翔平 野球翔年I』『イチロー・インタビューズ 激闘の軌跡2000-2019』(いずれも文藝春秋)がある

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