“生粋の野球一家”で育った楽天・黒川 悔しさを知った5季連続の甲子園出場
生まれながらにして「野球をやる最高の環境」だった黒川一家。楽天からドラフト2位指名を受けた次男・史陽は、多感な少年時代をほぼ野球一筋で過ごしてきた 【瀬川ふみ子】
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毎日3兄弟で練習していた少年時代
気付いたときにはもう野球をしていました。他のスポーツをしたいとかもなかったですし、将来はプロ野球選手になりたくて、野球の練習をしたすぎて、勉強する時間はなかったですね。野球ばかりでゲームもない家、と言われたりしていますが、ゲームはあるんです。でも、ゲームをするより野球をしていた方が楽しいから野球をしていただけ。毎日野球して、近所の集会場で壁当てをしすぎて、塀が割れて怒られちゃった、なんてこともありました(笑)。
――本当に野球が大好きなんですね。兄弟3人でよく練習していたとか?
僕が幼稚園のときから小学6年生まで、父が単身赴任(社会人チーム・セガサミー野球部のコーチ)でいなかったので、父が指導してくれたというよりは、僕ら3人で練習していました。小学生でいうと、兄が6年、僕が3年、弟が1年で、兄がピッチャーをして、僕がキャッチャーをして、弟がバッターとか。3人とも全ポジションやるんですが、兄と僕は守備練習をしたいから、弟がノックをすることが多かったです。弟はノックがめっちゃうまいんですよ。兄はすごく守備がうまいです。男3兄弟の真ん中に生まれたのも運命。野球がしたすぎる僕にとって、兄と弟と3人で練習ができるのはすごく大きかったです。
――中学1年のとき、お父さんが単身赴任先の東京から奈良に戻り、バッティングセンターの経営を始めたそうですね。
家から10分ぐらいのところにあるのですが、打ちたいから毎日行っていました。行きたくないと思った日は1日もないです。打ちたいと思った時にすぐに行けて、毎日好きなだけ打てるというのは、本当にいい環境だったなと思います。
――甲子園優勝経験もあり、大学、社会人でも野球を続け、さらに社会人のコーチをするほどのお父さん。何でも聞けて良いですね。
野球を知っているし、何でも教えてもらえる中で過ごせたのは良かったんですけど、ボーイズの試合を見に来ると、家に帰ってから「もうちょいこうしろ、ああしろ」といろいろ言われて。それが嫌で、「もう試合を見に来ないでよ」と喧嘩(けんか)したことがありました。そしたら父から「高校行って甲子園行っても応援しやんぞ(しないぞ)」って言われて「別にいいよ」と……。でも「本当に来なかったら嫌やな……」って思っていたんですが、僕が甲子園に出たらアルプスで全力で応援してくれていたので、「あー良かったー」って(笑)。突き放しても、ちゃんと応援してくれる、父の優しさだなって感じました。
――3兄弟の関係もそうですが、父子関係も素敵ですね。でも進路には、父の母校(上宮高)でも、兄が通う日南学園高でもない高校を選びました。どうして智弁和歌山高に行こうと思ったのですか?
僕には、プロ野球選手になりたいということと、日本一になりたいという目標があって、そのためには強豪校だと。強豪であっても自主性があるところがいいなと思って、それが智弁和歌山でした。でも、少数精鋭だし、頭がいい学校だし、「僕じゃ無理やろう」と思っていたら、たまたま声をかけてくださって、すぐに「入学します!」と返事をしました。
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