連載:ドラフトで夢を叶えた選手たち

絶望の淵から這い上がった巨人2位・太田 プロの世界でも強く、たくましく

瀬川ふみ子
アプリ限定

成長痛による痛みに一時は心が折れかけた時期があったという太田龍。JR東日本での3年間で、体、心ともに成長し、巨人のドラフト2位指名をつかみ取った 【撮影:スリーライト】

 190センチの長身から最速153キロのストレートを投げ下ろす社会人屈指の本格派投手・太田龍(JR東日本)。今ドラフトで巨人から2位指名を受け、プロへの扉を開いたが、一時は「野球はもうできないんじゃないか……」という絶望の淵に立たされたことがあったという。中学3年間で身長が24センチも伸びたため、骨の成長に体がついていかず、高校1年で腰椎分離症を患ったのだ。高校3年時には、山本由伸(オリックス)らとともに“九州四天王”と呼ばれるまでになったが、プロ志望届は出さずにJR東日本へ。動けずベッドで寝たきりだったあの日から6年、夢をかなえた日までのことを聞いた。

※リンク先は外部サイトの場合があります

あまりの激痛に絶望感に襲われた高校時代

「もう野球はできないんじゃないか」。太田は高校時代の不安な日々を振り返ってくれた 【撮影:スリーライト】

――見上げてしまうほどの高身長。いつそんなに伸びたんですか?
 
 中学生のときです。中学入学時が160センチで、中2で172センチ、中3で184センチ、3年間で24センチ伸びました。高校でまた5センチぐらい伸びて、今、190センチです。

――それはスゴイ。やはり良く食べ、よく寝る子だったんですか?

 小さいときからよく寝ていました(笑)。中学時代も、眠くて仕方なくて、授業もちゃんと聞こうとしていても眠くて寝ちゃって(笑)。家に帰ってきたらまた寝て、ご飯食べたらまた寝て、テレビも好きで見始めるんですが、気付いたらまた寝ていて、毎日10数時間寝ていたと思います。父が178センチ、母が165センチと両親とも大きい方で、弟は高校1年で175センチ。僕は寝るだけじゃなく、いっぱい食べていたのでここまで大きくなったのかなと思います。

――でも、急激に身長が伸びたことで、高校(鹿児島・れいめい高)入学後、かなり苦しんだそうですね。

 そうなんです。1年春からベンチには入っていて、秋の大会でも投げていたんですが、10月の大会で登板した時、腰が痛くて動けなくなってしまって……。試合が終わって外に出ようにも歩けない。ユニホームも自分で脱げないほどで、父に脱がせてもらって病院に直行。成長に伴って起きる腰椎分離症という診断でした。

――そこからどうなっていったのですか?

 コルセットを着けて自宅で安静です。骨がつくまでは動けないということで、学校も1ヶ月は行けず、野球も3ヶ月はぐらいできませんでした。

――大好きな野球ができなかった時期……どんな気持ちで過ごしていたのでしょう?
  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 次へ

1/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント