連載:記憶に残るF1日本グランプリ

元F1タイヤ開発責任者・浜島が語る日本GP 最高の舞台で、最高のタイヤが性能を発揮

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1998年、ミカ・ハッキネンがチャンピオンに輝き、記念撮影。浜島(後列左端)もともに喜ぶ 【Getty Images】

 自動車で最も大切なパーツ、それはタイヤかもしれない。いくら良いエンジンがあっても、いくら良いサスペンションがあっても、タイヤがなければクルマは前に進まない。なぜなら、路面と接しているのは、タイヤだけだからだ。

 F1マシンとてそれは同じ。どんなに素晴らしい空力効率を達成していようが、どんなに素晴らしいドライバーがステアリングを握ろうが、やはりタイヤが良くなければレースに勝つことはできない。

 浜島裕英は、ブリヂストンでF1タイヤの開発責任者を務めた人物。ブリヂストンは1997年にF1にデビューし、98年には初のチャンピオンを獲得。マクラーレンやフェラーリ、レッドブルとともに、幾多のタイトルを獲得した。

 ブリヂストンは2010年を最後にF1活動を休止。浜島はその後、フェラーリに請われてタイヤ担当エンジニアを務め、日本に戻ってからは、セルモ/インギングでも要職に就いた。その浜島に、思い出の日本グランプリ(GP)について話を聞いた。

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1998年:“巨人”グッドイヤーを倒した日

ブリヂストンでF1タイヤの開発責任者を務めた浜島裕英 【motorsport.com日本版】

 浜島がまず最初に挙げたのは、98年の日本GPだった。98年と言えば、ブリヂストンタイヤが初めてタイトルを獲得した年。同社のタイヤを履いたマクラーレンがコンストラクターズチャンピオンに、同チームのミカ・ハッキネンがドライバーズチャンピオンに輝いた。しかも日本GPで勝利を収めて、タイトルが決したのだ。

「1998年は絶対です」

 思い出の日本GPはいつのレースか、そう尋ねると、浜島は即座にそう語った。

「グッドイヤーさんはF1で最後の年でしたから、勝てないまま逃げられるわけにはいきませんでした」
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