連載:記憶に残るF1日本グランプリ

鈴鹿は“時代”が変わる場所……元ホンダF1広報が語る想い出の日本GP

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2012年の日本GPで自身初の表彰台登壇を果たした小林可夢偉 【Getty Images】

 現在DAZNなどでF1の解説を担当する小倉茂徳。鈴鹿サーキットでF1日本グランプリ(GP)が初めて開催された1987-88年にはホンダF1の広報スタッフとしてチームに帯同。その後はメディアとしての目線で、日本GPを観続けてきたひとりだ。

「ひとつひとつのグランプリに想い出がいっぱいあって、3つに絞るのが大変だった」

 そう小倉は言うが、その中でも“時代が変わった瞬間”をテーマに、3つのグランプリを選んでもらった。

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1987年:日本のモータースポーツが変わった瞬間

現在DAZNなどでF1の解説を担当する小倉茂徳氏 【motorsport.com日本版】

「1987年の日本GPは、鈴鹿で最初の日本GPでした。木曜日から走行が始まったんです。その日から、すごい盛り上がりでした」

 そう小倉は語る。

「当時、土曜日と日曜日の観戦券は、往復はがきで申し込み、当選しないと購入できませんでした。5〜6年前には日本ではF1などほとんど知られていなかった……それなのにこんなに盛り上がるのかと思わせるほど、多くのお客様が集まりました。F1の効果ってすごいなと思いました。その後、日本でのF1ブームが到来するわけなんですが、その始まりがそこにあったんですね」

 当時の小倉は、ホンダF1チームの広報スタッフの一員だった。ホンダにとっては、初めて迎える母国グランプリ。必勝体制でレースに臨んだが、結果は求めていたモノにはならなかった。

「その頃は事前にテストもできていたので、ホンダとしては必勝体制でグランプリに臨んだんです。しかし、フェラーリのゲルハルト・ベルガーにポール・トゥ・ウインされてしまうという、とんでもない結果になってしまいました」

 レース後、チームのスタッフには、ホンダの創設者である本田宗一郎氏から、言葉が送られたという。
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