川内優輝物語 -ゴールなきマラソンマン-
川内優輝物語 -ゴールなきマラソンマン-
最終話 世界陸上、そしてその先に

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「市民ランナー」から「プロ」へと転向をしたばかりの川内優輝。マラソンの原点から世界陸上、そしてその先へと続く彼の人生に迫ったノンフィクションストーリー。イラストは川内のバイブルともいえる漫画『マラソンマン』の井上正治が描き下ろし。

 前半、自重した分、終盤になっても息苦しさはなくがぜん楽になった。


 ゴールが近づくにつれ、スピードを上げるとホンダや安川電機の実業団選手までが次々に落ちてくる。まさか自分が敵うと思っていなかった選手を拾いながら、ゼッケン654番の学習院大の4年生は「心の底からマラソンは楽しい」と感じていた――。

【(C)井上正治】

 2009年2月1日。第58回別府大分毎日マラソン(以下、別大)。これが川内にとっての初マラソンだった。約1カ月前に箱根駅伝の6区を走ったばかりではあったが、学生のうちに1度はマラソンを経験したい。それもどうせなら、別大に出てみたかった。


 なぜ別大だったのか。実は川内は、それまで九州に行ったことがなく、卒業前に九州を出発点とした旅行も楽しみたいと考えていたのである。


 けがでつらい高校時代を過ごした川内は、陸上の名門ではなかった学習院大時代に、日本各地の市民マラソンを楽しむつもりでいた。しかし、幸か不幸かタイムが伸び関東学連選抜での箱根駅伝出場が狙えるようになったことで、そうも言っていられない状況に置かれ練習に励んできた。4月からは埼玉県庁への入庁も決まっており、“別大からの小旅行”は、ある意味でラストチャンスだった。


 ただ、初めてフルマラソンを走るのに準備期間は短く、陸上部の監督を説得する必要があった。そこで、思いついたのが東京マラソンに出るための別大だった。この年の東京マラソンは3月22日の開催。エリート枠で出るためには、参加標準記録である2時間27分を切る必要があったが、それなら十分狙える自信があった。東京マラソンに是が非でも出たい、そのためには別大に出る必要がある。川内は、そう訴えたのだ。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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