連載:僕しか知らない星野仙一

江本孟紀が星野仙一と交わした最後の会話 今、あらためて語る意味とは?

株式会社カンゼン

プロローグ

故・星野仙一氏(写真右)と大学時代から50年来の交流があった江本氏 【写真提供:サンケイスポーツ/株式会社カンゼン】

 2017年の11月28日。東京都内のあるホテルで、星野仙一さんの野球殿堂入りを祝うパーティーが開催された。僕は別件の仕事があったので、宴が始まる直前にホテルに着いた。会場のドア付近まで来たとき、目の前に星野さんが立っていることに気づいた。

「それでは星野さん、お入りください!」

 と司会者から呼び込みを受けるため、ちょうど廊下で待っていたのだ。
 会が進行していけば、星野さんと直接話すのは無理だろうと思い、その場でツカツカと歩み寄った。

「センパイー、野球殿堂入りおめでとうございます」

 開口一番、笑顔であいさつすると、星野さんは僕の顔を見るなりこう言った。

「お前、体は大丈夫か?」

 公にはしていなかったが、僕は2017年の6月、スキルス性の胃がんで都内の病院に入院していた。手術後に体重が20キロ落ちてげっそりとやせ細り、浅黒い顔をしているようでは、誰がどう見ても健康体ではない――当時の僕は、そんな姿だった。
 けれども、ガンで苦しんでいたのは、星野さんも一緒だった。実は僕と同じようにガンの治療をしていることは、「裏人脈」を通じて聞いていた。
「裏人脈」というと、なんだか怪しく感じる人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。他の人に病名を洩らすことは、医者の守秘義務に違反してしまうが、どういうわけか僕らのような立場の人間が入院したり、あるいは手術をしたりすると、情報が洩れてしまうのだ。

 僕は一部の仲間以外、病気のことは決して口にしていない。しかし、星野さんも僕と同じように「裏人脈」を通じて、僕の病状がどんな具合であるのか、つかんでいたのだろう。
 それでも、お互いに病名は一切口にしない。暗黙の了解とはよく言ったもので、「それは口にする必要もないでしょう」という空気感が、双方の間で瞬時にできあがっていた。星野さんの言葉を受けて僕は、

「いやいや、大丈夫じゃないですよ。たぶん僕のほうが先に逝きますから、後からゆっくりきてください」

 正直な胸の内を吐露すると、星野さんは、

「エモ、こればっかりはわからんよ。オレだって言うほどよくないからなあ……」

 こう言った直後、近くにいた東京スポーツのカメラマンに、

「お2人が揃うなんて珍しいですから、ご一緒の写真を撮りますよ」

 そう言って撮ってくれた。それからほどなくして、星野さんは司会者から名前を呼ばれ、「ほな、行くわ」とだけ言い残して、扉の向こう側に消えていった。

 この日の会話から37日後――星野さんは仲間の誰かに「さよなら」を言うこともなく、静かに旅立っていった。

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