キヅールを生み出した宮野社長の背景 Jリーグ新時代 令和の社長像 岩手編

宇都宮徹壱

「Jリーグらしさ」を感じるいわスタ

今年、33歳でいわてグルージャ盛岡の社長に就任した宮野聡。前途多難なクラブの立て直しに全力で取り組む 【宇都宮徹壱】

 一見すると、初めて訪れた頃から何も変わっていないスタジアムが、そこにはあった。いわてグルージャ盛岡(以下、岩手)が本拠とする、いわぎんスタジアム。ネーミングライツ以前の「盛岡南公園球技場」の時代から、たびたびここを訪れて、かれこれ14年になるだろうか。メインスタンドを中心に、左右に天然芝のピッチを配した、奇妙にシンメトリカルな競技施設。1999年に岩手県で開催された全国高等学校総合体育大会の会場として、前年の98年にオープンしたいわスタだが、ここでJリーグの試合を行うには、いろいろと不都合な点が少なくない。

 メインスタンドの屋根は、本当に申し訳程度。電光掲示板の施設はなく、照明設備もないので夏場のキックオフは15時に設定されている。とりわけ照明設備については、このスタジアム最大のネックとなっており、2022年までに照明設備を設置しなければ、岩手はJ3ライセンスを不交付されることが通達されている。クラブは盛岡市に対し、基準を満たすスタジアム整備の要望書と14万人分の署名を今年6月に提出している。

 今季のJ3リーグは後半戦に入り、岩手は第18節を終えて下から3番目の16位。8月4日、ホームいわスタにSC相模原を迎えた試合は、前半だけで4失点を食らう厳しい展開となった。岩手も前半35分、相手GKからボールを奪った谷口海斗が1点を返すと、後半6分に麦倉捺木、そして29分に再び谷口がゴールを挙げた。しかし、あと一歩及ばず3−4での敗戦。岩手は6月9日のアスルクラロ沼津戦以来、ずっとホームでの勝利はない。サポーターもそろそろストレスを溜め込む頃だろう。

 私が初めて岩手を取材したのは、東北リーグに所属していた05年のことである(当時の名称は「グルージャ盛岡」であったが、本稿での表記は「岩手」で統一する)。「将来のJリーグ入りを目指す」と宣言した当初から、輝かしい歴史とは無縁どころか、むしろピッチ内外の挫折やいざこざが絶えないクラブであった。そんな岩手も、14年に晴れてJ3に昇格。いわスタでJリーグの取材をするのは今回が初めてだったが、そこかしこに「Jリーグらしさ」を確認できたのは、ささやかな収穫であった。

 まず、最寄り駅の岩手飯岡駅を降りると「ようこそ、いわぎんスタジアムへ!」と書かれた看板が設置されていたこと。スタジアムのコンコースに、スタジアムグルメやグッズの売店が設置されていたこと。きれいにラッピングされた選手バスが到着すると、サポーターが盛大に出迎えたこと。そして忘れてはならないのが、クラブマスコットのキヅール。折り鶴をモチーフにした、他の追随を許さないユニークなマスコットこそ、それまでの岩手にはなかった「Jリーグらしさ」を強烈に体現する存在であった。

キヅール開発の目的はブランディング!?

岩手の選手たちとキヅール。宮野が岩手に来て最初に取り組んだプロジェクトのひとつがマスコットの開発だった 【宇都宮徹壱】

 令和時代ならではの新世代のJクラブ社長にフォーカスする当連載。今回はいわてグルージャ盛岡の宮野聡社長に登場していただく。もっとも「なぜ岩手?」といぶかしく思う方も少なくないだろう。気になる話題といえば、マスコットのキヅールくらいではないか──。実のところ、私が宮野の存在を初めて知るきっかけが、まさにそのキヅールであった。

 宮野が岩手の経営に関わることになったのは、16年の11月。コンサルファームである、フィールドマネージメントから出向する形で、常勤の常務取締役に就任する。肩書きこそ社長ではなかったが、実質的には経営再建のための大鉈を振るう権限を与えられていた。この時、宮野は31歳。その若さにも驚かされるが、当人が言うところの「大学のサークル以下」と評したクラブの経営再建に着手する一方で、マスコットの開発にも積極的に関与していたという事実に強い興味をひかれた。

 この当時の岩手は、15年と16年に連続して赤字を計上。しかも16年には、前副社長の業務上横領も発覚している。J3ライセンス不交付の危機に加え、不祥事によるダーティーなイメージがつきまとう、まさに未曾有の危機的状況。にもかかわらず、若き経営リーダーがキヅールの開発にこだわったのはなぜか? 当連載の監修を務める、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎は、このキヅール開発の目的を「ブランディング」と位置づけた上で、以下の見解を示している。

「クラブのブランディングは、マーケティングや経営方針と密接に関連しているものだと思います。マスコットを活用したブランディングということであれば、若年層やライト層をターゲットとしていると思われ、経営方針としては欧州型(アイデンティティ)というよりは米国型(エンターテインメント)に近いイメージかと思われます。ではなぜその戦略としたのか、その背景は知りたいところですね」

 キヅール発表から2年後の今年、宮野は33歳で岩手の社長に就任している。陸前高田市を含む全県にホームタウンを広げ、クラブ名を「いわてグルージャ盛岡」に変更。エンブレムもモノトーンを基調としたシャープなものに刷新した。けれども宮野が社長に就任したことで、経営状態や平均入場者数が劇的に上向いたわけではない。すべては発展途上の状況。それでも彼が令和時代にふさわしい、新しいタイプの経営者であることは間違いない。その素顔を、現地での取材から明らかにしていくことにしたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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