フロントの強化策がもたらす効果は!? Jリーグ新時代 令和の社長像 栃木SC編
「時代を映す鏡」としてのJクラブ社長
栃木SC社長の橋本大介(中央)は音楽畑出身でサッカー経験はなし。令和時代のJクラブ社長を代表する存在だ 【宇都宮徹壱】
Jリーグ開幕から四半世紀が経過し、クラブ社長の顔ぶれもずいぶんとバリエーションが豊かになった。黎明(れいめい)期の頃は、親会社から出向してきた社長ばかり。もちろんサッカーに理解がある人もいただろうが、子会社に出向するような気分で社長をやっていた人も皆無ではなかった。そして何より、始まったばかりのJリーグは、まさにバブル状態。各クラブの社長は、どぶ板営業をすることもなければサポーターと信頼関係を築く必要もなく、トップの威厳さえあれば何となく務まる面も否めなかった。
そして時代は、平成から令和へ。クラブ数が当初の5倍以上に膨れ上がる中、Jクラブ社長の有り様も激変した。親会社や自治体からの出向組は今でもいるが、全体で見ればすっかり少数派。異業種から参戦した異能の経営者、スポーツビジネスを学んで現場で実践する若き野心家、あるいは「元Jリーガー」の肩書を持つ社長も珍しくなくなった。令和時代のJリーグは、平成生まれや外国人や女性の社長も、普通に存在していることだろう。してみるとクラブ社長の顔は、ある意味「時代を映す鏡」なのかもしれない。
3月10日、横浜FCを栃木県グリーンスタジアムに迎えてのJ2リーグ第3節。今季初勝利を目指した栃木は、終了間際の失点で0-1と敗れてしまった。「トレーニングした形はできていたが、やはりサッカーは甘くない。今が辛抱の時」と語ったのは、今季からチームを率いる田坂和昭監督。社長の橋本もまた、思いは同じであろう。さまざまな施策を打ち出しながらもピッチ上では結果が得られず、ホームゲームの観客数も目標とする6000人の壁をなかなか突破できない(編注:その後、第22節レノファ山口戦で8034人を記録)。地方Jクラブ社長の模索と葛藤の日々は続く。
なぜ異業種の優秀な人材は栃木を目指したのか?
橋本社長は、昨シーズン途中からフロントの強化策を打ち出している 【宇都宮徹壱】
実は私は江藤と綾井、両者共に面識があり、それぞれの前職での実績もある程度は把握していた。私の周りにはリスペクトすべき優秀な人たちが少なくないが、そのうち2人が同じタイミングで同じJ2クラブに転職したのだから、当然その理由が知りたくなる。栃木は財政的に恵まれたクラブではないので、報酬に惹かれての転職だったとは考えにくい(実際、両者とも年収が下がったことを暗に認めている)。加えて栃木は、今のところタイトルとは無縁で、過去の最高成績は13年のJ2・9位。高いステータスも(少なくとも今のところは)期待できそうにない、
昨年にマーケティング戦略部長に就任した「えとみほ」こと江藤美帆。スタートアップ企業の経営者から転職 【宇都宮徹壱】
人望のあるトップに、優秀な人材が集まってくるのは、よくある話。ただし栃木のフロント補強は、多分に偶然の要素があったことも留意すべきだろう。というのも、江藤の採用は当初、予定されていなかったものであったからだ。綾井については共通の知人を介してであったが、江藤は転職サイトによるエントリー。橋本は当初「これほど実績のある人が応募するなんて、冷やかしだろうか?」と訝(いぶか)しく思ったという。それでもすぐさま面接し、結果として他のJクラブがうらやむような人材を2人も獲得することができた。橋本は人望だけでなく、決断力と行動力、そして運も併せ持っていたと言えそうだ。