母になって全日本へ戻ってきた寺田明日香 9年ぶりVは逃すも「楽しかった」
「日本選手権は甘くない」
6年ぶりの日本選手権に挑んだ寺田(右)は、優勝の木村(中央)と0.02秒差の3位に入った 【写真:松尾/アフロスポーツ】
28日の予選、29日の準決勝と続けて全体1位の好タイムで通過。だが、決勝では「焦って前に出ようとして、走りのリズムが変わってしまった」。序盤の焦りが影響したか、終盤にかけてぐっと速度を増していく本来の走りを展開できず。 4月のアジア陸上競技選手権大会を制した木村文子(エディオン)には、わずか0秒02届かなかった。「日本選手権は甘くないなと感じました。(陸上を離れていた)6年間経験を積んできた方たちがいて、埋めなければいけない溝を感じました」。ブランクの影響を、確かに感じた。
数々の“回り道”から得た財産
「ラグビーは陸上と違って団体競技。長い期間集まってチームを作る時間が必要なので、けがをしてしまうとアピールするのが難しくなってしまう。そこでラグビーはあきらめようと思いました。でも、ラグビーをやった2年間で自分の走りがすごく良くなっていると気づいて、『最後のアスリート人生は陸上で締めくくろう』と決断しました」
こうして寺田は陸上の世界に戻ってきた。ラグビーはトラックではなく芝の上を走るため、これまでとは違う走りの感覚をつかめたという。さらに筋力トレーニングも精力的に行い、デッドリフト(ウエイトトレーニングの一種)は60キロから120キロと倍の重さを上げられるようになった。それによって「上体がしっかりして安定する」、ブレが少ないフォームが身についた。この6年間は“回り道”ではなく、新たな走りにたどり着くきっかけだったのだ。
娘のために頑張る姿を
準決勝では13秒15をマーク。決勝でも13秒16と安定した走りを見せ、完全復活を印象づけた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
果緒ちゃんに金メダルを見せるという今大会の目標は、惜しくも果たせなかった。それでも「娘はママの頑張った姿を見ていると思います。それが彼女の中で『私も何か頑張ってみようかな』という気持ちにつながればいいな」と、これからも娘にはアスリートとしての姿勢を見せ続けるつもりだ。
東京五輪に出るため、そして娘のために。ママハードラーはこれまで通り、1つずつハードルを飛び越えていく。
(取材・文:守田力/スポーツナビ)
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