黒木知宏がイチローとの名勝負を振り返る
いまだ脳裏に焼きつく特別な対戦

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イチロー(写真左端)と同級生の黒木氏(同右端)。食事をするなどの親交もありながら、グラウンドの中では熱い対戦を見せてくれた
イチロー(写真左端)と同級生の黒木氏(同右端)。食事をするなどの親交もありながら、グラウンドの中では熱い対戦を見せてくれた【写真は共同】

 イチローとは1973年生まれの同い年。元ロッテの黒木知宏氏。現役時代は、時に食事の席を共にした。「ただ、他球団の選手だし、一応自分の中では一定の距離感を持っていた。まるで片思いをしているかのような距離感だった」と振り返る。グラウンドで対峙(たいじ)するたび、特別な思いを抱かされる相手。通算被打率は3割超。その対戦に熱い気持ちをかきたてられ、対策を練り、打たれて抑えてまた考えさせられ、成長させてもらう。そんな相手はほかにいなかった。

18.44メートル間でのギリギリの攻防

――イチローさんとの初対戦は覚えていますか?


 阪神・淡路大震災があった年(1995年)の、オープン戦でした。イチローは前年、NPB史上初の200安打超えを記録し、首位打者とMVPを獲得していました。僕はルーキーだったし、オープン戦中に一度2軍に落ちていたので、そんなすごい同級生と戦えること、そして当然彼を抑えれば良い評価をもらえる、自分のアピールにもなるということで、必死に投げた記憶があります。


――結果は覚えていますか?


 四球だったような気がします。僕はとにかく必死だったので、あまり記憶がないんですよ(笑)。ただ目いっぱい、ストレートを投げたことだけは覚えています。


――イチローさんが打席に入るときのルーティンについては、どう感じていました?


 最初はあまり何も感じなかったんです。僕が本能的なピッチャーだったせいか、「いいパフォーマンスを出すためにはルーティンを作らなきゃいけない」という知識が自分にはなかったんですね。でも、イチローはそのときすでに、自分の最高のパフォーマンスを出すために、常に同じような空気感、同じようなタイミングで打席に入っていた。若いのに、そういうことができる思考が整っていたということですよね。僕はプロで投げて、打たれて、いろいろな知識を得ていく中で初めて、「あのルーティンを崩していかないことには、イチはもう抑えられないかな」と思うようになりました。それがプロ2、3年目のころだったと思います。


――ルーティン崩しには、どんなことを?

前田恵

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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