連載:井上尚弥、さらなる高みへ

田口良一が井上尚弥から受けた「衝撃」 忘れられないファーストコンタクト

船橋真二郎

田口は3月の田中戦で受けたダメージを「井上君との試合のときもそうでした」と振り返る(写真は2013年の田口vs.井上戦のもの、左が田口) 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 控え室の扉はしばらくの間、閉じられたままだった。

 2019年3月16日、岐阜メモリアルセンター・で愛ドームで行われたWBO世界フライ級タイトルマッチ。23歳の若き世界3階級制覇王者・田中恒成(畑中)に敗れた田口良一(ワタナベ)は頭痛と気分の悪さに襲われ、疲弊した体を長椅子に横たえていた。

 最終12ラウンド、両者は激しくパンチを応酬し合い、最後はもつれ合うようにしてゴングを聞く。そして、そのまま抱き合い、動けなくなった。精根尽き果て、もたれかかる田口を田中が受け止め、しっかりと支えた。ふたりを大きな拍手が包んだ。判定は大差がついたものの、気力をふりしぼるような田口のひた向きなファイトが会場の心を打ったのは、あの日も同じだった。

 時間制限が設けられ、田口が会見に応じる。症状は落ち着いたが、疲弊の色は隠せなかった。それでも質問の一つひとつに丁寧に答えた田口は、試合後に頭が痛くなり、気分が悪くなったという。それは「井上君との試合のときもそうでした」と振り返った。

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主役は王者・田口ではなく、挑戦者・井上だった

ゴールデンタイムでの中継、地元・座間での開催と、デビュー3戦連続KOの挑戦者・井上に大きな注目が集まった 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 井上と田口がリングで相まみえたのは6年前。2013年8月25日のことだった。

 当時、田口は日本ライトフライ級王者。初防衛戦で同級1位の井上を迎えた一戦は、ロンドン五輪ミドル級金メダリスト・村田諒太(現・帝拳)のプロ転向初戦とともにゴールデンタイムに全国中継され、日本タイトルマッチとしては異例の注目を集めた。舞台は挑戦者の生まれ故郷である神奈川県座間市のスカイアリーナ座間。主役は王者ではなく、プロデビューから3連続KO勝利の快進撃を続ける井上だった。

 話題の“怪物”が史上最短タイ記録となる4戦目で華々しく日本タイトルを奪取し、世界への足掛かりにする――。大方の予想は井上のKO勝ちに集まった。だが、田口はフルラウンド奮闘し、判定に持ち込んでみせる。井上がプロで初めて聞く試合終了のゴングが鳴ると、惜しみない拍手がリングに降り注がれた。井上の勝利は明白だったが、勝者にも敗者にも称賛が送られる。そんな好ファイトだった。

「井上君との試合が、その後の自分の後ろ盾になってくれました。今までやったことのないような大舞台で、一番の相手に臆することなくやれたのは大きかったですね。井上君より強い相手はいないと思ったら、自信を持って試合に臨めたし、あの試合がなかったら、世界チャンピオンにはなれなかったかもしれないとも思っています」

 田中戦から1カ月半。やや頬がふっくらとした32歳は、これまで何度も口にしてきた思いを繰り返した。14年12月にWBA世界ライトフライ級王者となり、7度の防衛に成功。17年12月にはIBF同級王座を奪い、統一王者にもなった。「勝てば、自分の人生が変わる試合」。その固い決意で臨み、敗れはしたものの、井上戦は田口の人生を確実に変えたのである。

 ボクシングキャリアのみならず、人生のターニングポイントとなる一戦に向けては、並々ならぬ覚悟が必要だったと田口は振り返る。

「怖さや不安はどんな試合でもあるものなんですけど、井上君との試合は特別でした。1年前のスパーリングでボコボコにやられていたので」

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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