連載:井上尚弥、さらなる高みへ

田口良一が井上尚弥から受けた「衝撃」 忘れられないファーストコンタクト

船橋真二郎

スパーリングでの屈辱、次第に湧き上がる思い

インタビューに答えてくれた田口。初めて拳を合わせたスパーリングで「衝撃」を覚えたという 【船橋真二郎】

 井上とのファーストコンタクトは「衝撃」だったという。

「すべての面で、自分の想像をはるかに上回っていました」

 ワタナベジムでスパーリングが実現したのは12年5月。その2カ月前、田口は初のタイトル挑戦で当時の日本王者・黒田雅之(川崎新田)に挑み、引き分けに終わっていた。

 もちろん井上の噂は耳に届いていた。だが、自分には20戦近いプロキャリアがある。スパーリングなら、井岡一翔(現・Reason大貴)や八重樫東(大橋)と手合わせした経験もあった。相手はまだ高校を卒業したばかりである。「いくら強いと言っても、普通に勝負になるだろう」。そう思っていた。しかし――。

「1ラウンドからガンガン攻めてきて。その圧がすごかったですね。最初から自信満々で倒しにきている感じでした。ペースを乱されて、何もできないままボッコボコにされて。4ラウンドの予定だったのが3ラウンドで止められましたから」

 ダウンを取られたのは2ラウンドだったか、3ラウンドだったか……。記憶も定かではない。大勢のギャラリーが見守るなか、プロデビュー前の19歳に予定ラウンドすらもたなかったことは屈辱以外の何物でもなく、頭が真っ白になった。誰にも見られないようにジムの片隅で悔し涙を流した。

「これで『自分は終わりか』と思いました。黒田戦に引き分けて、ヘコんでいるところにさらに追い打ちをかけられて。チャンピオンになるのは無理なのかって」

アマチュア7冠の実績を持つ井上。田口と初めてスパーリングをしたのはプロデビュー前のことだが、当時からその実力は本物だった(写真は高校総体で田中恒成の兄・亮明を下した場面) 【写真は共同】

 当時の井上はロンドン五輪出場を、あと一歩で逃したばかりだった。高校3年生の11年9月から10月にかけ、アゼルバイジャン・バクーで開催された世界選手権に出場。村田が準優勝で五輪出場を決めた同大会ではベスト8で出場権を確定できたが、惜しくもベスト16で敗れた。田口とのスパーリングの1カ月前の4月には、カザフスタン・アスタナで行われ、五輪最終予選も兼ねたアジア選手権で準優勝。井上の49kg級は残り1枠しか出場権がなく、涙を飲むことになったが、アマチュア7冠という数字だけでは測れない実績、経験、実力が井上にはあった。

「これが一番というのはないんです。強いて挙げれば、すべてです。スピード、パワー、パンチの当て勘、ディフェンス……。すべてがハイレベルでそろった選手という印象でした。何かしら欠けているところがあったら、そこを突いていけると思うんですけど、そのときは何も見当たらなくて。とんでもない選手が出てきたなって」

 どん底までたたき落とされた田口だったが、次第に湧き上がってくる思いがあった。

「このままでは終われないし、絶対にやめられない」

「逃げたと思われるのは絶対にイヤでした」

井上(写真左)はプロ3戦目で佐野と対戦。序盤に右拳を痛め、以降は左手一本で戦う 【写真:アフロスポーツ】

 13年4月3日、王座決定戦を制し、1年越しの日本王座に就いた控え室で、田口は井上との対戦希望を表明する。

 約2週間後の16日には、前年10月にプロデビューし、2連続KO勝ちで日本ライトフライ級6位にランクされた井上が、同級1位の佐野友樹(松田)と対戦することが決まっていた。井上が勝てば1位に上がり、指名挑戦者になるのは濃厚。大橋ジム陣営が記録を狙い、次戦の日本タイトル挑戦を目論(もくろ)んでいることは明らかだった。

「上を目指すなら、いずれはやる相手。遅かれ早かれやるんだったら、今でもいいんじゃないかと思って。何より逃げたと思われるのは絶対にイヤでした。自分が日本チャンピオンになって、井上君が1位になって、それで戦わなかったら完全に逃げじゃないですか。それに自分のなかでは勝負になると思っていたので」

 井上とのスパーリングは黒田戦後、練習を再開してから間もなく、まだほとんど動いていない時期だった。

「しっかりコンディションをつくればという気持ちはありましたし、試合を見たら、まだプロに慣れてないんじゃないかと感じて。もちろん強いんですけど、アマチュアのようにヘッドギアを着けて、グローブも大きいスパーリングほどではないなって。あと井上君は自分を圧倒したし、絶対にKOできるという気持ちで来るだろうと。油断じゃないですけど、そう思ってくれたら、逆にチャンスだと思っていました」

 だが、迎えた佐野戦。井上は序盤3ラウンドに右拳を痛めるアクシデントに見舞われ、以降は左手一本の戦いを強いられることになる――。

<後編に続く>

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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