サンフレッチェ広島・野津田岳人は、幼少期から自らの意思で決断してきた
父親と一緒に登った近くの山が原点
父親が山が好きだったことに名前の由来がある野津田岳人。足腰の強さの原点は家の近くの山にあるという 【西田泰輔】
「自分が山を好きだったこともあって、三男には山に関する名前を付けられたらなと思っていたんです」
その子は――野津田岳人と名付けられた。
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「だから、子どものころはしょっちゅう山登りに連れて行ってもらいました。ちょうど家の近くに、子どもでも登りやすい小さな山があったんです。今思えば、足腰の強さは、その山登りで培ったものかもしれない。今もシーズンオフに実家へ帰ると、たまに登るんです。走れば、15分くらいで登れてしまう、本当に小さな山なんですけど、ちょうどトレーニングにはいいかなって。子どものころは嫌々でしたけど、やっぱり頂上まで登ったときの達成感はありましたよね。あの山は、自分の原点かもしれない」
広島に生まれ、広島で育った。サッカーボールを蹴り始め、物心がついたときから、サンフレッチェ広島は身近にあった。だから、野津田はサンフレッチェ広島に憧れもしたし、サンフレッチェでプロになろうともがいてきた。当たり前のように、そこにある存在だったから、外に出なければ気づかないこともあった。
いくつもの山を登り、いくつもの崖を越え、生まれ育った町に戻ってきたから、その大きさが身に染みて分かる。再び紫紺のユニホームに袖を通した野津田は、だから、しっかりとそのピッチを踏みしめている。
遊びの天才と言われていた幼少期
憧れのサンフレッチェ広島でジュニアユースから育ちプロへ。分岐点では自ら決断してきた 【Getty Images】
「男3人兄弟だったんですけど、いつもマンションの下にあるスペースで遊んでいたんですよね。もしかしたら、それがうるさかったのかもしれないですけど、近所の人に『活発な子は何かスポーツをやらせた方がいい』と言われたんです。それで、どこか近場にスポーツができる場所がないかと探して、見つけたのがサッカースクールでした。最初は長男を入れて、次男とガク(野津田)は付き添い。次男は『自分は野球がやりたい』と、はっきり主張するような子どもだったんですけど、ガクはサッカーを見ていたり、端の方でボールを蹴っていたので、ムズムズしていたんでしょうね。自然と、自分から『サッカーがやりたい』と言い出しました」
3人兄弟の末っ子として生まれた野津田は「遊びの天才」と言われるほど活発だった 【西田泰輔】
「選抜チームは、家から少し離れた場所で練習をしていたんです。だから、ガクは学校が終わると、ひとりでバスに乗って通うようになりました。最初こそバスの乗り方は教えましたけど、『本当にサッカーが好きなんだったら、自分で行きなさい』とは話していました。女房に聞けば、当時は乗り過ごしてしまったり、寝てしまって終点まで行ってしまったりと、彼なりにいろいろな経験をしたみたいですけど」
ふたりの兄がのちのち違う競技に進んだこともあり、環境的には野津田自身が影響されてもおかしくはなかった。だが、本人が「とにかくサッカーが楽しかった」と語るように、明るく、前向きな少年は、バスで通うことにも、上級生とプレーすることにも臆さなかった。