弱音を吐かない野津田岳人が流した涙 あの悔しさは…今も自分の中で生きている
世界の舞台を前に初めて味わった挫折
野津田岳人がリオ五輪出場にこだわっていた理由は、それまでに味わった挫折が背景にあった 【西田泰輔】
高校3年生だった12年、当時サンフレッチェ広島を率いていた森保一監督に抜てきされると、J1デビューを飾った。チームはその年、初のリーグ優勝を達成。連覇した13年は20試合に出場すると、初ゴールも記録した。14年も、15年もコンスタントに出場機会を得ていた。それは誰が見ても、順風満帆なキャリアのスタートに映った。
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その思いを理解するには、彼の歩みを知る必要がある。U-15から育成年代の日本代表を経験するようになっていた野津田が、世界の舞台に立つチャンスは11年にあった。U-17ワールドカップ(W杯)である。だが、メキシコで開催されたその大会で、ベスト8に進出したチームに、野津田の名前はなかった。
「U-17W杯を戦うメンバーに落選したときは、すごいショックでしたし、悔しかったですね。同世代のみんながW杯で活躍している中、悔しさともどかしさがありました。それは今まで味わったことのない悔しさだったと思います」
ともすると、野津田にとっては初めての挫折だったかもしれない。すでに親元を離れ、寮生活をしていた彼に、発破をかけてくれたのが、サンフレッチェ広島ユースの森山佳郎監督であり、コーチ陣だった。
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