弱音を吐かない野津田岳人が流した涙 あの悔しさは…今も自分の中で生きている

原田大輔
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世界の舞台を前に初めて味わった挫折

野津田岳人がリオ五輪出場にこだわっていた理由は、それまでに味わった挫折が背景にあった 【西田泰輔】

 2016年3月、野津田岳人は生まれ育った広島を飛び出した。

 高校3年生だった12年、当時サンフレッチェ広島を率いていた森保一監督に抜てきされると、J1デビューを飾った。チームはその年、初のリーグ優勝を達成。連覇した13年は20試合に出場すると、初ゴールも記録した。14年も、15年もコンスタントに出場機会を得ていた。それは誰が見ても、順風満帆なキャリアのスタートに映った。
 ところが、野津田自身の心境は違っていた。16年のリオ五輪出場を目指していた野津田は、焦りに支配されていたのである。

 その思いを理解するには、彼の歩みを知る必要がある。U-15から育成年代の日本代表を経験するようになっていた野津田が、世界の舞台に立つチャンスは11年にあった。U-17ワールドカップ(W杯)である。だが、メキシコで開催されたその大会で、ベスト8に進出したチームに、野津田の名前はなかった。

「U-17W杯を戦うメンバーに落選したときは、すごいショックでしたし、悔しかったですね。同世代のみんながW杯で活躍している中、悔しさともどかしさがありました。それは今まで味わったことのない悔しさだったと思います」

 ともすると、野津田にとっては初めての挫折だったかもしれない。すでに親元を離れ、寮生活をしていた彼に、発破をかけてくれたのが、サンフレッチェ広島ユースの森山佳郎監督であり、コーチ陣だった。
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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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