トップランナーであり続けるために

一流選手を率いるチームマネジメント術
稲葉篤紀(野球)×西野朗(サッカー)

提供:明治

野球の稲葉篤紀さん(左)とサッカーの西野朗さん。日本代表を率いることになった者だけが知る特別な感覚とは
野球の稲葉篤紀さん(左)とサッカーの西野朗さん。日本代表を率いることになった者だけが知る特別な感覚とは【築田純】

 トップアスリートとしてそれぞれの舞台で第一線を走り続ける人たちがいる。厳しい世界でなぜ彼らは光を放ち続けられるのか。スポーツナビでは、そんなアスリートたちの声を対談連載「トップランナーであり続けるために」で紹介する。


 第8回は、2017年7月から野球日本代表「侍ジャパン」の監督を務める稲葉篤紀さんと、前サッカー日本代表監督として世界を舞台に戦った西野朗さん。かつてはともに選手として日の丸を背負い、やがて監督として日本代表を率いることになったふたりだから理解し合える特別な感覚とは――。チームマネジメントにおける考え方やポリシー、自身のコンディショニングにいたるまで幅広く語ってもらった。

「おそらく僕も、西野さんと同じ決断をした」

――おふたりは今日が初対面とお聞きしました。


稲葉 そうなんです。お会いした瞬間、「やっぱりカッコいいなあ」と思ってしまいました。以前からそういう印象を持っていましたけれど、こうして実際にお会いすると、なおさらそう感じますね。


西野 そのお言葉、そのままお返ししますよ。骨格のバランスが“ザ・野球選手”という感じで稲葉さんこそカッコいい。


稲葉 実は僕、小学生の頃はサッカー部だったんですよ。


西野 ホントですか?


稲葉 はい。僕らの世代は、みんながサッカー漫画の『キャプテン翼』に憧れていましたから。


西野  反対に、僕は“サッカーどころ”の浦和(現さいたま市)で生まれ育ったこともあって、野球とはほぼ無縁の少年時代を過ごしたんです。ところが、僕は2002年からガンバ大阪の監督を務めることになったのですが、ちょうど同じ時期に星野仙一さんが阪神タイガースの監督を務められたんですよね。そんなきっかけで星野さんと出会って、生まれて初めて野球と密接なつながりを持つようになりました。昨年はパ・リーグのクライマックスシリーズで始球式の大役を務めさせていただくことになったのですが……。野球の奥深さを思い知りましたね(笑)。実は、コントロールには少し自信があったんです。バッティングセンターにストラックアウトという的当てゲームがありますよね。あれに挑戦して9枚すべてのパネルを抜いたこともあります。


稲葉 それはすごい。ちなみに僕はできません(笑)。センスですね。


西野 始球式についても前日からちゃんと投球練習をして、それなりにいいボールを投げられるようになりました。でも、本番を迎えて、バッターボックスに人が立つと景色がまったく違った。結局、投げたボールはワンバウンドしてしまったので、やっぱり野球は奥が深いなと。

今回が初対面だが、ふたりとも以前からお互いに興味を持っていたという
今回が初対面だが、ふたりとも以前からお互いに興味を持っていたという【築田純】

――西野さんと言えば、やはり1年前のロシアの大舞台が思い起こされますが、稲葉さんもご覧になられましたか?


稲葉 もちろん拝見しました。僕自身、17年7月から侍ジャパンの監督を務めさせていただいているのですが、日本代表監督としての話し方や立ち居振る舞いについて興味を持っていたんです。だから、むしろ西野さんのことばかり見ていました。強く印象に残っているのは、やはり“最後の10分間”が話題になったポーランド戦です。あの状況を野球に置き換えた場合、自分だったらどういう指示を送ったか。それを考えながら見ていました。


――もしも稲葉さんだったら……。


稲葉 最も大切なのは「次に進むこと」だったわけですから、おそらく僕も、西野さんと同じ決断をしたと思います。ただ、それを瞬時に判断し、決断しなければならないところに難しさがありますよね。西野さんの判断の速さと勇気に感服しましたし、監督としてのすごみを感じました。


西野 正直なところ、今でも自問自答しているんですよ。選手にああいう戦いをさせてしまったこと、5万人もの観客にブーイングをされるような状況をつくってしまったことについて、あの決断が本当に正しかったのかは今でも分からない。リスクを考えればゾッとする決断で、本当に紙一重でした。だからこそ、同じ方向を見てついてきてくれた選手たちに感謝しています。

勝負の世界だからこそ覚悟が必要

日の丸を背負う重圧を感じつつも、監督就任のオファーに「迷うことなく決断した」と稲葉さん
日の丸を背負う重圧を感じつつも、監督就任のオファーに「迷うことなく決断した」と稲葉さん【築田純】

――それだけ重い責任を背負わなければならない監督という職業を、なぜおふたりは選んだのでしょう。


稲葉 選手として出場した2008年の北京大会で悔しい思いをして、いつかリベンジしたいとずっと思っていたんです。だから、オファーをいただいた時は迷うことなく決断しました。もちろん、怖さもあります。でも不思議なもので、自分の中でワクワクする感情がそれを上回るんですよね。


西野 そういう覚悟が必要ですよね。勝負の世界だから解任されることだってあるし、リスクは決して小さくない。一度失敗すれば、次があるかどうか分からない世界ですから。


稲葉 メンタル的なプレッシャーという意味では、選手より監督のほうがずっとしんどい気がします。もちろん選手も厳しいプレッシャーにさらされるのですが、「責任を取る」という意味で監督にかかるプレッシャーは大きい。


西野 「好きなサッカーをずっと続けたい」という思いを実現しようとするなら、“ずっと選手”がいいに決まっているんです(笑)。試合に勝って喜ぶのも、評価されるのも選手。監督は勝ったからといって選手と同じように喜びを表現するわけにはいかないし、負ければとんでもないたたかれ方をすることもあるわけですから。


――ただ、その一方で、監督にしか味わえない快感もあるのではないかと。


西野 その快感を一度でも味わってしまうと、もうどこにも逃げられないんですよ。逃げ出したいと思う瞬間はいくらでもある。でも、育てた選手が日本代表まで上り詰めたり、タイトルを取ってファンやサポーターと喜び合ったり、そういう瞬間を体感してしまうと、「もう一度!」という気持ちが湧き出てくる。この感覚は、きっと稲葉監督もお持ちだと思うんですけれど。


稲葉 分かります。監督としての初戦が韓国戦だったのですが、いい意味で、その試合でサヨナラ勝ちを“してしまった”んです。勝利が決まったあの瞬間の興奮は、今でも忘れられません。西野さんがおっしゃるとおり、監督という職業に対する考え方は、あの瞬間に変わりました。本当にラッキーだったと思います。

細江克弥

1979年生まれ、神奈川県藤沢市出身。『ワールドサッカーキング』『Jリーグサッカーキング』『ワールドサッカーグラフィック』編集部を経て2009年に独立。サッカーを中心にスポーツ全般にまつわる執筆、アスリートへのインタビュー、編集&企画構成などを手がける。

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