2011年の東日本大震災となでしこジャパン 佐々木前監督が語る「あの時考えたこと」
重要な役割を果たした2本のビデオ
W杯優勝後の会見の様子。空前のなでしこフィーバーが巻き起こった 【宇都宮徹壱】
「そこでドイツ戦の前に見せたのが『われわれは日本を代表している』という映像でした。何のために、この大会を戦っているのか。それは震災で打ちひしがれた人たちに、われわれが一生懸命ひたむきにプレーする姿を見ていただいて、何とか元気になってもらうためだよね? そのことを、映像を使って再確認することができました。決勝の米国戦では『次のステージに向けて』──つまり復興ですよね。ドイツには勝ったけれど、そこで収まらずに新しいステージに向かっていこう、というメッセージを込めました」
これらのビデオは、佐々木から専任の映像担当に意図とイメージが伝えられ、完成したものをスタッフ全員で確認してから選手に見せていた。「いつも映像を見せればいい、という話ではない。あまり見せすぎると、慣れてしまって感動が薄れますからね(苦笑)。ここぞというタイミングを常に意識していました」と指揮官。その「ここぞ」という2試合が、準々決勝のドイツ戦と決勝の米国戦であった。そして運命のファイナルは、失点しては取り返すというシーソーゲームの中、120分でも決着がつかずにPK戦へ。
「延長戦の時は、もう試合なんか見えないんですよ。ただただ『こいつら、すごいことをやらかしているな』と(苦笑)。確かに『最後まで一生懸命頑張る姿を見せることが、われわれの責務なんだよ』ということは映像でも伝えました。そうすれば、結果も後からついてくるとも思っていました。でも、それ以上のことを彼女たちは、やってのけようとしている。だから2−2でPK戦になった時、あまりの素晴らしさに僕はニコニコしていたんです。あの時はむしろ、相手のほうが追い込まれた表情をしていましたよね」
米国は、準々決勝のブラジル戦もPK戦で競り勝っている。その時のキッカーのコースをGKの海堀あゆみに伝えたら、見事に相手のキックを2本止めた。そして日本は4人中3人が成功。4人目の熊谷紗希のキックは、ゴール左上の隅を突き刺し、日本のW杯初優勝が決まった。この試合は地上波でも放映され、早朝にもかかわらず21.8%という高視聴率を記録。それまで日の目を見ることのなかった女子サッカーは、この瞬間から「震災に打ちひしがれた国民に勇気を与えた」として、空前のなでしこフィーバーが巻き起こった。
優勝の余韻が感じられないまま五輪予選へ
佐々木は日本の強みを「どんなに絶望的な状況に追い込まれても、再び這い上がってくる」と話した 【宇都宮徹壱】
「正直、こんなに勝ち進むとは誰も思っていなかったわけです。所属クラブに戻ってからも、地元メディアへの対応もあるし、当然リーグ戦もあります。そして何と言っても、9月から中国で始まるアジア最終予選。直前に岡山の美作(みまさか)でキャンプをやったんですけど、非公開練習ができる環境ではなかった。びっくりするくらいのギャラリーの数でしたね(苦笑)。しかも予選は11日間に5試合で、アジアからの出場は2枠。幸い1位通過で出場権を獲得しましたけれど、最後まで気が抜けませんでしたね」
結局のところ、佐々木自身が「日本国民に勇気を与えた」と、心の底から実感できたのは、シーズンが終わってからのことであった。翌12年はロンドン五輪で銀メダル、14年のアジアカップで優勝、そして15年のW杯で準優勝を達成。しかし、16年2月に行われたリオデジャネイロ五輪予選において、なでしこは4大会ぶりに本大会出場を逃してしまう。9年にわたってチームを率いてきた佐々木は、3月10日に退任。後任には、歴代初の女性監督となる高倉麻子が就任することとなった。
「高倉監督の下、若い世代の選手たちが今年のW杯に挑みますが、日本が8年前に優勝していることを自信にしてほしいですね。われわれが優勝したのは、決してフロックではないと思っています。大事なことは、目の前の1試合1試合にひたむきに取り組むこと。ある意味、それが日本人の国民性なんだと思います。これだけ何度も自然災害に見舞われながら、自制心をもってコツコツと努力することが復興につながっている。どんなに絶望的な状況に追い込まれても、再び這い上がってくる。それが、僕らの強みだと思いますね」
今年6月、フランスで開催されるW杯に挑むなでしこジャパンに対し、前監督はこんな餞(はなむけ)の言葉を残してくれた。「どんなに絶望的な状況に追い込まれても、再び這い上がってくる」──。その言葉は、未曾有の震災から立ち直った日本のみならず、佐々木が監督を辞して以降のなでしこの道のりとも見事に合致する。震災から8年、そしてW杯初優勝からも8年。どちらも世代を超えて語り継がれるべき、2011年の明と暗である。(文中敬称略)