連載:アスリートのビクトリーロード

村岡桃佳(アルペンスキー)が語る金メダルへの道 「人は、悔しさで強くなる」

岩本勝暁
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提供:味の素株式会社

金メダルに輝いた平昌2018冬季パラリンピックをたっぷり振り返ってくれた村岡 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 勝利のために。トップアスリートは試合に勝つため、世界に勝つため、自分に勝つために、日々たゆまぬ努力を続けている。本連載「ビクトリーロード」では、さまざまなアスリートがこれまで歩んできた、そしてこの先に思い描く「勝利への道筋」をひもとく。聞き手は、自身も競泳選手として北京2008オリンピック、ロンドン2012オリンピック、リオデジャネイロ2016オリンピックで4つのメダルを獲得してきた競泳の元日本代表選手で、現在はコメンテーターなど幅広いジャンルで活躍し、味の素(株)の栄養プログラム「勝ち飯®」アンバサダーの松田丈志が務める。

 第6回は、平昌2018冬季パラリンピックで金1個、銀2個、銅2個のメダルを獲得したアルペンスキー座位(LW10-2)の村岡桃佳。輝かしい実績ばかりが注目されがちだが、その道のりは決して平坦ではなかった。17歳で挑んだソチ2014冬季パラリンピックでは、プレッシャーに押しつぶされた。それから4年――。エネルギーになったのは、表彰台に立てなかった悔しさだ。

 変化は、あった。早稲田大学に進学するなど、環境が大きく変わった。食に対する意識も芽生え、長いシーズンを戦い抜く体を手に入れた。そうしてたどり着いた表彰台の頂上、そこから見た景色とは?

 北京2022冬季パラリンピックに向けて再スタートを切った村岡に、オリンピック4大会に出場して4つのメダルを獲得した松田が話を聞いた。

金メダルを取るなら「ここしかない」

アルペンスキー競技のトップランナーとして活躍する村岡 【写真:アフロスポーツ】

松田:平昌から帰ってきた直後は、イベント出演などが目白押しで忙しかったのではないですか?

村岡:おかげさまで(笑)。今までよりも、少し慌ただしい生活を送らせてもらいました。

松田:平昌2018冬季パラリンピックで金メダルを獲得した時のことを聞かせてください。少し時間が経ちましたが、改めて感じることはありますか?

村岡:奇跡だったと思っています(笑)。

松田:なぜ?

村岡:もちろん、選手である以上はメダルが欲しいし、取るからには金メダルがいい。でも、平昌に行くまでの調子やそれまでの成績を加味した上で、自分のことを客観的に見た結果、「頑張れば、メダルに手が届くかもしれない。でも、金メダルは難しいかな」というくらいだったんです。

松田:それがどこで変わったのですか?

村岡:平昌2018冬季パラリンピックではアルペンスキー座位(LW10-2)5種目に出場して、4つ目の女子 ジャイアントスラロームで金メダルを取りました。それまでの3種目は、銀メダル(女子 ダウンヒル)、銅メダル(女子 スーパーG)、銅メダル(女子 スーパーコンビ)。言い方はよくないけれど、「同じ色のメダルはもういらない」と思ったんです。足りないのは、1つだけ。しかも、私の中では一番好きな種目で、金メダルを取るなら「ここしかない」と思っていました。あとはもう、「メダルを3つも取ったし、何があってもいい」という気持ちで、自分の全力を尽くしました。

松田:すごい。要するに、攻めたということですね。その前に3種目を経験していたからこそ、女子 ジャイアントスラロームも攻めることができた?

村岡:そう思います。1本目を1位で通過しても、「いつもの自分のようにやっちゃいけない」と逆に気を引き締めていました。弱いところが出たら、一瞬で負けます。ただ、滑り出して1ターン目をした瞬間に「ヤバい。体が動かない」と思ったんですよ。その後はもう必死。修正というよりも、考えていたのは「練習どおり滑るためには体をどう使えばいいか」ということ。「もっといける、もっといける」と思いながら滑っていました。

松田:「ヤバい」と思ったことが、逆によかったんですね。

村岡:焦りましたけどね(笑)。でも、結果的にいろいろな方から「2本目の方がいい滑りをしていた」と言われました。それは、素直にうれしかったです。「ヤバい」と思いながらも、すごく冷静に自分を客観視できましたから。

雪の上でも自由に動けるのがうれしかった

雪の上でも自由に動けるアルペンスキーの楽しさを語る 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

松田:本当に感動させてもらいました。ここからは少しアルペンスキーについて聞かせてください。そもそも、アルペンスキーに出会ったのはいつですか?

村岡:小学校2年のときに、初めて車椅子スポーツの体験をしました。そのときからずっと、陸上競技を3輪の車椅子でやっていたんです。体験会などのイベントにも参加しました。小学校3年のとき、そこで出会った友達から「アルペンスキーの体験教室に行こうよ」と誘われたのがきっかけです。

松田:初めてスキーをやったときのことを覚えていますか?

村岡:私は埼玉県生まれ埼玉県育ちなので、身近に雪がありません。だから、すごく新鮮でした。

松田:わかります。僕も宮崎県出身ですから。

村岡:雪そのものが新鮮で。車椅子って、雪の上だと止まっちゃって全然動けないんですよ。でも、アルペンスキーだったら、雪の上でも自由に動ける。それがうれしかったですね。それから、日常では感じられないスピード感。陸上競技とはまた違う、風を切る感覚が楽しかったです。

松田:ということは、初めてスキーをやったときから「これでいこう!」と決めたのですか?

村岡:そんなことはないです。2泊3日くらいのイベントだったんですけど、実は最終日にちょっと痛い転び方をして、大泣きしてしまったんです。だから、いい思い出がない(笑)。でも、その次の年からも、誘われて行っていました。

松田:アルペンスキーの魅力を教えてください。

村岡:競技としての魅力は、毎回、山が違うことです。たとえ同じ山、同じコースを滑るとしても、そのときの条件によってまったく違うものになります。逆に言うと、陸上競技や競泳のように、目標タイムや自己ベストといった基準がないので、そこは少し寂しい部分かもしれません。アルペンスキーの場合、滑り終わってから自分の順位を知ったり、あとは自己満足の世界ですから。いかに自分が納得できる滑りをするか。でも、そこに際限はありません。「もっと、もっと」とずっと貪欲でいられるところが、アルペンスキーの魅力だと思います。

松田:いいですね。僕も好きでサーフィンをやるんですけど、それに近いかもしれません。17歳でソチ2014冬季パラリンピックに出場していますが、そのときはどんなことを感じましたか?

村岡:早く日本に帰りたかった(笑)。

松田:それはまた、どうして?

村岡:パラリンピックって、正直言うと当時は4年に一度のお祭りという感覚でした。そこに出られるだけでもうれしくて、でも、その祭典の重みを感じるのも初めて。舞い上がっていたんでしょうね。実際に競技が始まると、いろんなものに押しつぶされそうになってすごくつらかったです。

松田:その気持ち、すごく分かります。僕が初めてオリンピックに行って感じたのは、「メダルを取らないとすごくつまらない」ということ。そういう感覚は、ソチ2014冬季パラリンピックのときにありましたか?

村岡:ソチ2014冬季パラリンピックのときはなかったです。自分は表彰式を見る側でしたから。でも、それが平昌2018冬季パラリンピックでは、表彰台から周りを見る側になった。「すごい景色だな」と思いましたよ。この景色は何度でも見たい、と言う人の気持ちがわかりました。君が代がかかったときは、ちょっと泣きそうでしたね。ソチ2014冬季パラリンピックからの4年間が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、感慨深かったです。

松田:平昌2018冬季パラリンピックまでの4年間、モチベーションはソチ2014冬季パラリンピックでの“悔しさ”でしたか? それとも表彰台に立ちたいという“欲求”?

村岡:悔しさです。もちろん、メダルを取りたい気持ちはありました。でも、人は悔しさで強くなると思います。

【味の素(株)】

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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