連載:アスリートのビクトリーロード

村岡桃佳(アルペンスキー)が語る金メダルへの道 「人は、悔しさで強くなる」

岩本勝暁
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提供:味の素株式会社

「じゃあ、やってみるか」と思えた理由

実は食に興味がなかったという告白には松田も驚いた 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

松田:ソチ2014冬季パラリンピックの後は早稲田大学に進学するなど環境も大きく変わったと思いますが、どんなふうに自分を変えていったのですか?

村岡:高校生までは、体の関係でフィジカルトレーニングにドクターストップがかかっていました。だから、大学進学を機に筋力トレーニングを始めたんです。代表チームのコーチやスタッフから「トレーニングをしているのに、どうしてちゃんとご飯を食べないの?」って叱られながら(笑)。私、もともと食が細いんです。

松田:僕は逆に食べるのが大好きでした。運動した後にお腹が空かないんですか?

村岡:その感覚がわからなかったんです。朝からゲレンデに出て、普通だったらお昼にお腹が空くじゃないですか。でも、当時の村岡桃佳は「お昼ご飯を食べる時間があるなら滑りたい」と思うような少女でした(笑)。

松田:食に対する意識が変わったタイミングは?

村岡:遠征に行くと、周りから「食べなさい、食べなさい」と言われますね。だから、遠征に行けば頑張って食べるんです。だけど、遠征から帰ってきてオフに入ると、また食に対する意識が低くなる。誰からも何も言われないし、「まあ、いいかな」と思ってしまう自分がずっといたんです。ただ、味の素さんにサポートしていただくようになってからは、「ちゃんとしよう」と思うようになりました。

松田:17年3月から味の素(株)のサポートを受けていますが、最初はどう感じましたか?

村岡:私、とても面倒くさがり屋なんです。なおかつ普段は料理もしない。だけど、そんな私の性格や好みを考慮に入れた上で提案してくださいました。「これだったら、あなたでもできるんじゃない?」というのがとてもありがたくて、「じゃあ、やってみるか」という感じでしたね。

松田:ストレートに言えば、もともと食に興味がない面倒くさがり屋の村岡さんでもできる提案をしてもらったと(笑)?

村岡:はい。普段ならやってみようとも思わない人間なんですけど、試してみようという気持ちになれたことが、私にとっては第一歩でした。すごく小さな一歩でしたけど(笑)。

松田:どういうことから始めたんですか?

村岡:寮に住んでいるので、基本的に朝と夜はご飯が出るんです。昼は学校で食べるんですけど、休日はもちろん出ません。でも、トレーニングはあるから、ちゃんと食べなくちゃいけないですよね。そんな中で、火も使わない、鍋もいらない、「鍋キューブ®」(キューブ状の鍋つゆの素)を使ってレンジでできる“ひとり鍋”の提案をしていただきました。

松田:どういうものですか?

村岡:「鍋キューブ®」とカット野菜、鶏肉などをスーパーで買ってきて、お湯を耐熱容器に入れて、レンジでチンするだけ。「私でもできるー!」って思いました(笑)。しかも、おいしい。平昌にも持っていきましたよ。選手村のご飯に飽きたタイミングで、「強い味方が!」と思いました。

松田:好みの味はあるんですか?

村岡:チゲ味が好きですね。いろいろな味があるんです。遠征にも3種類くらい持って行って、そのときに食べたいものを食べるようにしています。ただ、好きなチゲ味は遠征の後半に取っておくことが多いですね。「今日は疲れたな」と思ったタイミングで最初の1回、中盤に1回、そして終盤に1回、という感じです。

松田:遠征中の食事って大事ですよね。

村岡:すごく役立ちました。遠征に行くとホテル暮らしになるので、どうしてもホテルで出されたものを食べる生活になります。バランスが偏ったり、野菜が不足してしまうこともある。そんなときに、「鍋キューブ®」の簡単さがありがたかったです。毎日のようにやっていました。

私は追う立場、挑戦者だと思っている

平昌2018冬季パラリンピックで金メダルを獲得し、笑顔を見せる 【写真:アフロスポーツ】

松田:体にも変化はありましたか?

村岡:変わったと思います。野菜の摂取量が増えたからか、体の調子がよくなった気がします。言い方は変だけど、体内で血液がきれいに巡っている感じ。疲れにくくなったし、食事ってすごく大事なんだと実感しました。最近は、練習が終わるとお腹が空くようになったんですよ。そこも成長したところです(笑)。

松田:アルペンスキーをやる上で、体づくりの大切さをどのように感じていますか?

村岡:遠征って期間が長いんです。スキー競技だと、夏から翌年の春先くらいまでずっとレースを転戦します。1つのレースが終わったら、そのまま荷物を詰めて移動して、翌日からまた違う場所でレースがあるという感じです。それが競技の特性みたいなもので、コンディショニングの大切さはわかっていても、実際にやるのは難しい。それでも、食事やアミノ酸の取り方で、以前に比べればリカバリーもできるようになってきました。

松田:実際、平昌2018冬季パラリンピックでは5種目も出場したわけですからね。テレビで見ていても、「また村岡さんが出ている」と思うくらいずっと出ていました。

村岡:いやあ、つらかったですね。今までで一番きつかったです。

松田:そんな中、全種目でメダル獲得です。よくやり切りましたね。

村岡:心のよりどころが「アミノバイタル®」でした(笑)。笑っていますけど、ホントですよ! かばんの中に、いくつ入っていたことか。

松田:お守りみたいなものですね。でも、それも戦い抜けた1つの要因だと?

村岡:そうですね。平昌2018冬季パラリンピックは10日間だったんですが、その中で5種目に出場しました。実はその前からトレーニングランという形で、基本的にゲレンデには出ていたんです。だから、何日間もずっと滑っていました。なおかつ朝の4時に起きて、寝るのは早くても夜の12時。その間、ほぼ動きっぱなしです。しかも、(天候の悪化による)日程変更があって、まさかの「もう1日」。連続滑走日数が6日くらいあって、本当に大変でした。

金メダリストになっても「挑戦者」の立場を崩さない村岡 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

松田:最後に、北京2022冬季パラリンピックに向けて目標を聞かせてください。

村岡:周りの方から「これからは追われる立場だね」と言っていただくんですけれど、私が平昌2018冬季パラリンピックで一番上に立てたのは1種目だけで、他の4種目ではまだ上に人がいます。私は追う立場、挑戦者だと思っているので、次の北京2022冬季パラリンピックでは一番上に立てる回数を増やせるように頑張ります。

松田:そこに向けて、“食”に関する目標はありますか?

村岡:まずは「Cook Do® 」から始めようと思います。4年かけて。私の場合、実践したことを継続できるように頑張っていかなければいけませんから(笑)。

(文中敬称略)

村岡桃佳(むらおか・ももか)

【写真:田村翔/アフロスポーツ】

1997年3月3日生まれ。埼玉県出身。4歳で横断性脊髄炎により下半身がまひし、車椅子生活に。小学校2年生でアルペンスキー座位と出会い、中学生になると本格的に競技スポーツの道へ。17歳でソチ2014冬季パラリンピックに出場すると、女子 ジャイアントスラロームで5位入賞を果たした。その後は早稲田大学に入学。18年には平昌2018冬季パラリンピックに出場し、冬季パラリンピック大会における日本選手最多記録となる1大会5個のメダルを獲得。女子 ジャイアントスラロームでは金メダルに輝いた。いま、最も注目を集めるパラアスリートの1人だ。

松田丈志(まつだ・たけし)

【坂本清】

宮崎県延岡市出身。4歳で地元・東海(とうみ)スイミングクラブに入会し水泳を始める。北京2008オリンピックにて200mバタフライで銅メダルを獲得。この活躍が認められて宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞。ロンドン2012オリンピックでは200mバタフライで銅メダル、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。リオ2016オリンピックで800メートルリレーのアンカーとして銅メダルを手にしたのち引退。現在は、コメンテーターなど幅広いジャンルで活躍。味の素(株)の栄養プログラム「勝ち飯®」アンバサダーという一面も。

【味の素(株)】

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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