連載:房総半島にJクラブを カレン・ロバートの挑戦

カレン・ロバートは「クラブ経営者」に  房総半島からJ入りを目指すローヴァーズ

中田徹

地域密着型総合スポーツクラブを目指すローヴァーズのビジョンについて、カレンに語ってもらった 【中田徹】

 2005年のJリーグ新人王カレン・ロバートは、千葉県1部リーグに所属するローヴァーズ木更津FCのオーナーだ。英語で『さまよい人』を意味するクラブ名には「クラブのメンバーがどこかに羽ばたいても、疲れた時には戻って来られるクラブにしたい」という願いがこもっている。

 サッカー選手としてのカレンは10年、活躍の地をオランダのVVVフェンロに移してから、スパンブリー(タイ)、ソウルイーランド(韓国)、ノースイースト・ユナイテッド(インド)と転々とし、昨年12月末までの半年間はイングランド7部リーグのレザーヘッドでプレーした。この間、良いことばかりではなかったが、日本に帰国した際にローヴァーズのジュニアユースの子どもたちの成長を見ると辛さを忘れられた。

 3月2日、カレンは自身のSNSで「プロ選手活動終了のお知らせ」と題して、15年間にわたるプロサッカー選手を終えることを発表した。多くのメディアは、それを「現役引退」として報じた。しかし、選手としてのキャリアが終わったわけではない。プロ選手という長い航海を経て、やっと彼は港へ戻り、4月からアマチュア選手としてローヴァーズで現役を続行するのだ。

 今回から3回にわたり、カレン・ロバートのインタビューを掲載する。第1回は、地域密着型総合スポーツクラブを目指すローヴァーズのビジョンについてお届けしたい。(取材日:1月29日)

“FAカップロス”を乗り越え、ローヴァーズへ

かつてはVVVフェンロでもプレーしたカレン(右)。現在はローヴァーズというクラブを経営している 【写真:アフロ】

――3月、日本に帰ることが決まったとのことですが、今季の前半戦はレザーヘッド(7部リーグ)でプレーしました。カレンさんのイングランド挑戦を振り返ってください。

 8月、9月は絶好調で、9試合で3ゴール、2アシスト。チームの得点の半分に、僕が絡んでいました。しかし、10月ぐらいから連戦や天候に苦しみました。ピッチが粘土質なので、雨が降ると僕の技術が下がりましたし、チームもよりシンプルなサッカーになりました。となると、僕はセカンドボールを拾うばかりで、自分が生きなくなってしまった。僕もイングランドに来てちょっとは空中戦に強くなりましたが、こっちの選手相手にフィジカルでは歯が立たなかった。あと、10月以降は“FAカップロス”がありました。

――FAカップロスとは?

 はい。もう一つ勝てばプロと対戦できたし、BBCテレビでも放映されるのに、勝てるはずのゲームにいらない負け方をしてしまったから、ロスが半端なかった。その後のリーグ戦のことはほぼ覚えていません。年明けから6部リーグのトライアルを複数クラブに頼みましたが受け入れてもらえず、2月に入った時点で、3月に日本に帰国することを決めました。4月からローヴァーズでプレーします。

――ローヴァーズとは?

 房総半島からJリーグを目指している、千葉県木更津市のサッカークラブで、2015年に作ったクラブです。今は千葉県1部リーグに所属しています。将来は、ローヴァーズをJリーグに昇格させ、僕もJリーガーとしてまたピッチに立てたら面白いですね。

――ローヴァーズの経営を始めたのはいつですか?

 2013年です。フットサル場が完成して施設を運営し、ジュニアユース、トップチームを始めたのは2015年から。この年が、ローヴァーズというクラブとして本格的にスタートした年なんです。3年目でU−18年代のユースチームを設けるところまで持っていきました。今から振り返るとすごいスピードで進んできました。

――木更津市内にあった中学校の大きな跡地の活用公募でローヴァーズが1月、優先交渉権を得たそうですね。

 たった3年しか木更津での実績がない中、大事な跡地をローヴァーズに託してくれる木更津市に感謝しています。僕たちのことを理解し、可能性を感じてくれたと思います。僕たちは、その期待に応えないといけません。房総半島の中で、絶対的シンボルのスポーツクラブにならないといけない。そう、思っています。

100年、200年と続くクラブにするために

――ローヴァーズの収益の柱は?

 木更津、印西でスポーツ施設の運営、サッカースクール、ジュニアユースのクラブ活動、あと各地でイベントも行っています。さらに、茂原市にも新しいスポーツ施設を建設できるよう、今動いています。

 イベントに関しては、例えば船橋市との共催で障害のある子ども向けのサッカー教室をやったりしています。行政や企業とタッグを組んで、いろいろなことをやって少しずつ利益を生み、それを元に新しいことをしていきたい。今の10倍ぐらい、会社の規模を大きくしないと最初の目標のJ3に届きません。究極の話ですが、スポンサーがゼロになっても絶対無くならない、強い母体を作りたい。始めたからには100年、200年と続いていくクラブにしたいと思っています。

――“新しいことをしていきたい”とは?

 今回の学校の跡地で合宿所を始めたいと思っています。サッカー、バスケットボールなど、さまざまなスポーツ団体が合宿する場所として、うちの施設を利用してもらい、泊まってもらって、房総半島にある魅力的な観光地――三井アウトレットパーク(木更津)、マザー牧場(富津)、ドイツ村(袖ヶ浦)、ターザニア(長柄町)などへ、バスで行って遊んでもらう、そんなイメージです。

――木更津に雇用も生みますね。

 はい。選手が働いても、地元の方が働いてもいい。そこで地元の特産品を売ったり、治療院をやってもいい。そこで選手が治療を受けることができれば、けがの具合、リハビリの度合い、回復までの期間を把握しやすくなります。ジムも作りたいですね。徐々にサッカーから広げていきたい。まだまだ時間はかかりますけれど、イメージはあります。

――いい物件だそうですね。

 体育館はできてまだ4年ほどしか経ってないんです。耐震性能の関係で、校舎は4分の1の大きさになり、1階、2階に4教室分、計8教室が残り、そこが合宿所に変わります。そして、クラブハウスとフルコートのピッチを作りたいと思います。

――地図を見たところ、学校跡地の周りは畑のようですが……。

 そう、畑なんですよ。サッカーに集中できる素晴らしい環境です。あと、高速道路を降りてすぐで、アクアライン渋滞に巻き込まれない場所です。久留里線というローカル線ですが、東清川駅から歩いて20分ほど。「良くない場所だね」とよく言われるのですが、自分の中では、あれほど良い場所はないと思ってます。みんな、あそこの良さを全然分かっていません。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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