真っすぐ、ひたむき、矢野謙次 レギュラーなき16年間を終えて
急転直下の電撃トレード
15年途中からは日本ハムでプレー。持ち前の勝負強さで抜群の存在感を発揮した 【写真:BBM】
──16年間でレギュラーにはなれませんでしたけれど、キャリアの中盤は代打として存在感を発揮しました。
もちろんずっとレギュラーを目指してやってきたんですけれど、それでも代打というポジションにもやりがいを感じていましたし、ファンの方にも矢野謙次という名前を少しでも知ってもらえたので。1打席だけで結果を残さないといけない難しさであったり、特にまだ若いころなんかはスタメンで出られない悔しさやジレンマもありましたけれど、いま振り返るとその過程も含めてすべてが楽しかったなって思います。
──2015年途中には巨人から日本ハムへ電撃トレード。移籍を通達されたときはどんな思いでしたか?
おぉ……来たか! っていう感じです。ただ、あの時期は2軍にいましたし、また年齢的にも可能性はゼロではないと思っていたので。決まった以上は「やってやるぞ」っていう気持ちだけでしたよね。
──日本ハムに入って巨人との違いを感じることは何かありましたか?
まったく違いました。言い方は難しいんですけれど、日本ハムの選手って楽しくやろうよというか、遊びがあるんですよね。もちろんプロなので勝負に徹してはいるんですけれど、選手たちに余裕があるんですよ。
──具体的に言うと?
僕が一番びっくりしたのがある若手選手の言葉でした。2軍から上がってきてすぐにスタメン出場で4タコに終わったんですけれど、ベンチでさらりと「まあ、明日があるさ!」的なことを言ったんですよね。僕からしてみればそれが信じられなかった。これがもし巨人だったらもう2軍なんですよ、明日はないんですよ。ただ日本ハムの場合は、その日がダメでもまた次の日にチャンスを与えてくれるんです。1試合に対する緊張感も含めてどちらにも良い面、悪い面があると思いますけれど、まったく違うチームカラーを知ることができたのはすごく大きかったですね。
──栗山監督からもいろいろな言葉を掛けられたそうですね。
いまでも鮮明に覚えていますけれど、チームに合流した初日に栗山監督から「頼んだよ」「信じているからね」と言われたんですけれど、そういった声を掛けられた経験が巨人時代にはなかったのですごくうれしかった。その一方で、最初のほうはちょっとその言葉を僕自身が重く受け取ってしまって背負い過ぎてしまった部分もありました。変に気負ってしまっていたというか。だから移籍してすぐにヒットが出てくれたときは本当にホッとしました。
新たな肩書は「特命コーチ」
矢野の代名詞にもなった「ファイターズ最高!!」。最後の引退セレモニーもこの言葉で締めくくった 【写真:BBM】
あれにはちょっと裏話があって。完全に偶発的に生まれたものなんですけれど、日本ハムってヒーローインタビューの時間がほかのチームより長いんですよ(笑)。それは北海道のファンの方が楽しみにしているという理由からだと思うんですが、なんだか僕の話していることもダラダラしてしまっていたので、一発で締められるような言葉が何かないかなと思って「ファイターズ最高!!」って大声で叫んでいました(笑)。
──でも、あの言葉で北海道のファンの方の心を一気につかみました。
そうですね。でも、あの言葉が生まれた裏には監督の言葉であったり、ファンの方にも「来てくれてありがとう」って声をたくさん掛けてもらって、そういうものが重なって自然に湧き出たものだったのかなと自分では思っています。
──引退後、現在はどのような生活を送られているのですか?
球団から特命コーチという職をいただいたので、そのための準備をいまはしています。研修先の米国で何をするかとかはまだ全然分からないのですが、向こうの選手にノックをする場面もあるかもしれないので体だけは鍛えています。それこそ現役のときと同じぐらいみっちりと練習しています(笑)。あとは母校の国学院大にお邪魔して、恩師でもある竹田(利秋)総監督の指導の仕方を勉強させてもらっています。
──大学時代に竹田監督と出会ったことも、矢野さんの野球人生にとってはとても大きかったようですね。
竹田監督がいなかったら僕は絶対にプロになっていなかったと思います。いまも忘れないですが、国学院大のセレクションの面接で監督から「お前はこの4年間でプロに行く準備をしなさい」と言われたんです。そのときに「自分はプロになれるんだ」って思いましたし、そこでスイッチが入ったんですよね。本当に恩師と言えるのは竹田監督ですし、これからもいろいろなことを吸収させてもらいたいと思っています。
──特命コーチとして第2の野球人生が始まりますが、これからどんな選手を育てていきたいですか?
みんな体格の違いもありますので、それぞれに合った特徴を見つけ、それを伸ばしてあげられるような存在になっていきたい。あとは野球だけでなく、人間的にもみんなに必要とされるような選手を1人でも多く育てていきたいです。
(取材・構成=松井進作、写真=川口洋邦(インタビュー)、BBM)