現場に任せた、岡田オーナーの思い 今治は「J3のカギ」にわずかに届かず

宇都宮徹壱

序盤での失点で苦戦を強いられる今治

序盤に先制された今治は、後半11分に三田尚希のゴールで追いつくも、ホンダロックの固い守りを崩せず 【宇都宮徹壱】

 試合は序盤から思わぬ展開となる。開始早々の3分、ホンダロックは前線からの積極的なプレッシングで優位に立つと、當瀬泰祐がドリブルで突破。ラストパスを受けた大山直哉が、右足でゴール右隅を突き刺す。もちろん、時間はまだ十分にあった。しかし勝利が大前提だった今治にとって、この1点が最後まで重くのしかかることになる。その後も相手に攻め込まれる展開が続き、今治は必死でクリアするのが精いっぱい。これではどちらがホームで、どちらが上位なのか分からない。

「ホンダロックは勢いがあるチームで、前からくることは想定していました。それでも立ち上がりの失点で、選手の中で焦りが出てしまいましたね。(今治の良さを出せなかったのは)相手の前線からのプレッシャーに対して距離ができてしまって、ロングボールで打開するだけになってしまったこと。相手のやりたい形に、自分たちのほうからハマってしまいました。序盤の失点がなければ、もう少し違った展開になっていたと思いますが」

 前半の苦戦について、今治の工藤直人監督のコメントである。確かに、逆転昇格のプレッシャーで選手に硬さがあったことに加えて、早々の失点で焦りが募っていったのは明らかだ。加えて指摘するならば、「(Honda FC以外の)企業チームに勝って当たり前」という根拠のない過信はなかっただろうか。確かにホンダロックは、今治に比べて順位は下だ。戦力もはるかに落ちる。しかし彼らは毎年最終節になると、強豪相手に善戦することが多い。というのも、「社業に専念するため今季限りで引退します」という選手が毎年のようにいて、最終節は特に気合いが入るからだ。そして今年はGKの鶴崎智貴が、この試合を最後に引退することになっていた。

 後半に入ると、ようやく相手の激しいプレッシングから解放されて、今治のパスがテンポよく回るようになる。そして後半11分には、待ちに待った同点ゴール。右サイドでのワンツーから有間潤が中央に折り返すと、三田尚希がワントラップから左足を振り抜き、ボールは見事にゴールに吸い込まれていった。これで1−1。十分に逆転のチャンスがある。しかし裏の試合では、ソニー仙台が岡崎に3−0でリードしていた。

 その後も今治は何度もチャンスを作るも、ホンダロックの赤い牙城を崩せず。とりわけ、GK鶴崎の見事なセービングが光っていた。いいGKだなと思って、前所属を確認すると「セレッソ大阪U−18」。なるほどと納得するも、年齢は25歳。社業に専念するには早すぎるので、何か事情がありそうだ。そんなことを考えているうちに、時計の針は刻一刻と進み、とうとう引き分けのままタイムアップ。今治の選手たちがうなだれる中、仲間に抱きかかえられながら号泣するホンダロックの守護神の姿が、むしろ強く印象に残った。

岡田オーナーが現場に口出ししなかった理由

試合後、「結果の責任はすべて私にあります」と語った岡田オーナー。今治は来季もまたJFLを戦う 【宇都宮徹壱】

「残念ながら(J3昇格という)皆さんとのお約束を果たすことはできませんでした。それでも工藤をはじめ、若いスタッフが最高の仕事をしてくれたと思っています。結果の全責任は私にあります」

 試合後、今季最後のホームゲームを締めくくるセレモニーでの、岡田武史オーナーのスピーチである。そしてメーンスタンドに向けて深々と一礼すると、ピッチ上にいた選手とスタッフ全員と握手して、ひとりクラブハウスへと足早に引き上げてしまった。結局、裏の試合はソニー仙台が3−0で勝利。今治は年間5位で今季のJFLを終え、来季も同じカテゴリーで活動することとなった。昨シーズンの6位から順位をひとつ上げ、最終節まで昇格の可能性を残したことは十分に評価できよう。とはいえ、今治に関わるすべての当事者にとっては、何ら慰めにならないのも事実である。

 今季、岡田オーナーはクラブ経営に専念するため、現場にタッチすることを極力控えていた。確かに、オーナー業が多忙を極めていたのは理解できる。とはいえ、もう少し現場に関与していれば、シーズン途中での監督交代の決断も早かっただろうし、若い工藤監督に何かしらのアイデアを授けることもできたのではないか。そうした疑問を試合後の会見でぶつけてみると、岡田オーナーは意外な理由を語り始めた。

「97年のワールドカップ予選で加茂(周)さんが解任されて、私が初めて日本代表の監督になったのは41歳の時でした。あの時は、代表監督経験のある長沼さん(健=当時JFA会長)、あるいは大仁さん(邦彌=当時JFA強化委員長)といった大先輩方がいらしたんですが、何も言わずにすべてを任せてくれました。すごく腹が据わっているなと。ですから私も今回、中途半端に(現場に)口出しすべきでないと考えました」

 いかにも岡田オーナーらしい決断だったと思う。しかし、またしてもJFLで足踏みすることで、来季のスポンサー流出は必至だろう。実際、岡田オーナーは経営的な見通しが厳しいことを率直に認めている。年間3000万円かけてきた、ホームゲームでのフットボールパークの予算は見直し。新監督の招へいや選手補強にも、それほど予算はかけられそうにない。果たして、2年目でのJFL突破が果たせなかった原因は、どこにあったのか。そして来季はどのような体制で、悲願のJ3昇格を目指すのか。今季を締めくくる意味でも、岡田オーナーには機会をあらためて取材を申し込むことにしたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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