バレー界の新星・西田有志が目指す自分像「日本を救えるような選手になりたい」

米虫紀子

5月に代表デビュー 心待ちにした世界選手権

最高到達点346センチという跳躍力は、西田の大きな武器 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 そうした活躍が目にとまり、2018年、日本代表に初招集。5月末から開催されたネーションズリーグで代表デビューを果たした。
 そこでも西田はレギュラーをつかみ、海外勢の高いブロックを相手に予選ラウンドの得点ランキング4位という成績を残した。サウスポーの西田のライト攻撃はスピードがあり、対面するブロッカーはあらかじめ西田の前に寄っておかなければならず、そのおかげで他のスパイカーへのマークが薄くなるという好影響もあった。
 強豪・イタリアとの対戦では、西田が豪快なサーブを立て続けに打ち込んで連続得点につなげ、11年ぶりの勝利に貢献した。

 9月にイタリア・ブルガリアで開催された世界選手権の開幕戦は、そのイタリアとの再戦だった。しかも会場は、インドアバレーでは異例の屋外コート、ローマのフォロ・イタリコ。西田はその舞台に立つことを心待ちにしていた。ところが開幕3日前の練習中に左膝を痛めてしまい、開幕戦の出場を回避することとなった。

「本当に悔しかったです。あの場所でやれるのは人生で1回限りだと思っていたので、本当にそこに気持ちを合わせていましたから、そこに出られないとなった時にかなり落ち込んでしまって……」

 それでも幸い膝のけがは重傷ではなく、4日後、フィレンツェで行われた第2戦のドミニカ共和国戦では途中出場を果たす。西田はプレーできる喜びを全身で表現しながら、勢いよくスパイクを決めた。
 この日のように無心でプレーしている時の西田は怖いものなしである。“無”は西田がテーマとしていることだ。

「高校の時に、“無”が一番強いなって気付いたんです。チームメートに『お前あのとき何考えてたん?』と聞かれて、『そういえばなんも考えてなかったな』という話になって、そういう時に結果がついてきていた。考えながらやっていたら、余計な邪念が入ってくる。試合中は、『なんで止められたんやろ』とか、悩んでる暇はないですからね。でも練習は別。練習中は、止められたらそこで考えますし、どういう決め方がいいんだろうと考えながら練習するので、沈む時もある。だから僕、練習の時の方が悩んでるし、調子が悪いんです。
 でも試合では、例えばシャットされたとしても、『あ、相手ブロックはこうやってきてるな』と一瞬整理するだけ。あとは何も考えない。それで、次に跳んだ時にブロックをよく見て、臨機応変に答えを出す。後出しジャンケンみたいな感じでやってるんですよね」

環境の変化にも「立ち向かっていかないと」

代表1年目を駆け抜けた西田。「経験を何回も何回も積み重ねて、託されるような選手になりたい」と、強い意志を言葉にした 【写真:坂本清】

 ただ今回の舞台は世界選手権。本気の海外勢を相手にする中で、ずっと“無”ではいられなかった。
 日本はドミニカ共和国に勝利したものの、ヨーロッパ勢には苦戦した。その中で日本が奪った第3戦スロベニア戦の第2セット、第4戦ベルギー戦の第1セットは、いずれも西田の強力なサーブが走り、相手のサーブレシーブを崩して連続得点につなげたことが大きかった。ただ、試合を通してそのサーブを維持することはできず、スロベニア戦の後、こう悔やんだ。

「考えなくてもいいことを考えてミスにしてしまったところがあった。相手のサーブレシーブが良かったので、そこをどうやったら崩せるんだろうかと、自分の中にちょっとしたネガティブさが出てきて、サーブがあまり思い切れなくなりました」

 世界選手権の開幕前、セッターの藤井直伸(東レアローズ)がこう話していたのを思い出した。
「西田はオラオラしてそうに見えるけど、意外と神経質な部分もある。いろいろと考え過ぎてダメになることがあるので、もしミスしたとしてもオレのせいにしていいから、お前はお前のリズムで突っ込んでくればいいよ、と言っています」

 西田自身、そんな自分を知っているからこそ“無”をあえて意識しているのだろう。
 それでも、すべてを吸収し自分の力に変える18歳は、そのままでは終わらなかった。第1次ラウンド最後のアルゼンチン戦では、試合中にパフォーマンスを大きく落とさずに立て直し、フルセットの勝利に貢献した。
 日本は2勝3敗でアルゼンチンと並んだが、勝ち点1の差でA組5位に終わり、第2次ラウンド進出を逃した。1試合1試合、目に見えて成長していた西田が、第2次ラウンドでさらなる強豪と対戦できていたら、また一段上の境地にたどり着けていたのではないかと悔やまれる。しかし代表デビューしたばかりの西田には、今後またそうしたチャンスが訪れることだろう。

 最終戦の後、目指す選手像について、西田はこう語った。

「日本を救えるような選手になりたい。そのためには、こういう経験を何回も何回も積み重ねなければ。しっかり経験を積んで、レベルを上げて、託されるような選手になりたいですね。今はまだまだ信頼されていないというか、託されるような人間ではないと思うので、もっと人間的にも成長しなきゃいけないと感じました」

 昨年の今頃はまだ高校生の大会を戦っていた。環境が劇的に変わる中、「怖さは感じないし、立ち向かっていかないと勝負師にはなれない」と代表1年目を駆け抜けた。2020年東京五輪を20歳で迎えるこの新星は、男子バレー界に間違いなく活力と希望を与えている。

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著者プロフィール

大阪府生まれ。大学卒業後、広告会社にコピーライターとして勤務したのち、フリーのライターに。野球、バレーボールを中心に取材を続ける。『Number』(文藝春秋)、『月刊バレーボール』(日本文化出版)、『プロ野球ai』(日刊スポーツ出版社)、『バボちゃんネット』などに執筆。著書に『ブラジルバレーを最強にした「人」と「システム」』(東邦出版)。

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