1998年 美談となった「Fの悲劇」<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「君のそばで会おう」に込められた想い

当時のサポーターグループ「ASA AZUL」のリーダー・川村環が、ラストゲームとなった天皇杯決勝を振り返った 【宇都宮徹壱】

 10月29日の合併発表後、横浜フリューゲルスはまるで神がかりのように勝ち続けた。直後にホームで行われたセレッソ大阪戦に7−0で圧勝するなど、残りのリーグ戦4試合に全勝して年間総合順位を7位で終えた。続く天皇杯は、12月13日の3回戦から出場。大塚FCに4−2と苦戦したものの、4回戦のヴァンフォーレ甲府には3−0、準々決勝のジュビロ磐田には2−1で勝利している。しかし専属フォトグラファーの高橋学は、天皇杯の3試合を現場で撮影することはなかった。

「ちょうどその頃、バンコクでアジア大会があったんですよ。すでに取材パスも取っていたので、チーム撮影は他のスタッフに任せて、私は天皇杯は準決勝からでした。向こうにいるときは『お願いだから勝ち進んでくれ!』と、いつも祈っていましたね(苦笑)。鹿島(アントラーズ)との準決勝は長居でしたが、ものすごく報道陣が多かったことを覚えています。最初は緊張感がありましたけれど、試合が始まってみると何だか負ける気がしなかったですね。『あ、これは勝つんだろうな』と思いながらカメラを構えていました」

 結局、準決勝は前半の1点を守りきったフリューゲルスが、元日・国立の出場権を獲得する。対するは、くしくもJリーグ開幕の対戦相手だった清水エスパルス。愛するクラブのラストゲームが天皇杯決勝と決まったことで、「ASA AZUL」のリーダー・川村環は「試合後に何か選手にメッセージを送りたい」と考えていた。そこで思いついたのは、彼女自身のお気に入りの詩人、銀色夏生の「君のそばで会おう」のアレンジである。

《この想いは決して終わりじゃない。なぜなら終わらせないと僕らが決めたから。いろんなところへ行っていろんな夢を見ておいで。そして最後に……。君のそばで会おう。》

「決勝が終わったら、勝っても負けてもフリューゲルスはなくなって、みんな散り散りになってしまう。それでも、またどこかで一緒にやりたいねっていう想いを文章にしたかったんです。前日の大晦日は、国立競技場の近くで徹夜しました(笑)。年越しのカウントダウンをやって、それからあの横断幕を作りました。墨汁をバケツに入れて、模造紙1枚1枚に文字を書いて貼り合わせて作ったんです。明け方には書き終えたんですけれど、冬だからなかなか墨汁が乾かなくて。そのうち仲間が集まってきて、乾ききっていないところをティッシュで拭き取って、それからみんなでスタンドに運び込みました」

「葬式の日にドンチャン騒ぎをしているような気分」

フリーライターのジュンハシモトは、「試合内容よりもサポーターたちの言葉が心に残る」と当時の天皇杯決勝を振り返る 【宇都宮徹壱】

 試合は、2−1で勝利したフリューゲルスが見事に優勝。キャプテンの山口素弘が優勝カップを掲げたシーンは、その後の天皇杯のプロモーション映像で繰り返し使用されることとなる。記者席で取材していたフリーライターのジュンハシモトは、この試合にどんな思い出があるのだろうか。私の質問に対する彼女の答えは「実は試合内容よりも、むしろ当日のサポーターたちの言葉の方が心に残っています」というものであった。

「(川村)環さんは『葬式の日にドンチャン騒ぎをしているような気分』って名言を残していましたね。対戦相手の清水サポも『死に水を取るのはオレらしかいないから、彼らの最期を見届けることができてよかったよ』と言っていました。負けて悔しい思いもありながら、優勝したフリューゲルスに拍手を送っていましたし。清水サポには成熟した人が多いんだなって、その時は思いましたね」

川村は「サポーターだけが置き去りにされているように感じられてきて……」と当時を回想する 【(C)J.LEAGUE】

 見事「有終の美」を飾ったフリューゲルスの選手たちは、試合後のロッカールームにてシャンパンで乾杯したあと、チームバスで新横浜に移動。そこでファン・サポーターに向けて優勝報告会を行うことになっていた。選手がひとりずつ登場して、次の移籍先を発表して「応援ありがとうございました!」とあいさつする。その繰り返しを見ていて、川村は何とも言えぬ違和感を覚えるようになったという。

「みんな表情が妙に明るいんですよね。だんだん、サポーターだけが置き去りにされているように感じられてきて……。報告会が終わって、選手がフワッといなくなった時、初めて寂しい気持ちになりましたね。(合併発表があった)10月29日から、天皇杯決勝の1月1日まで、涙を流すことはなかったんです。というか、泣いている暇がなかった。でも、『ああ、この人たちが全員そろうことは、もう二度とないんだ』って思うと、急に寂しくなってしまったんですよね」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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