1998年 美談となった「Fの悲劇」<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「これでもうフリューゲルスと再会することはない」

オフィシャルカメラマンだった高橋は、祝勝会後に撮影機材を片付けながらクラブの消滅を実感したと言う 【宇都宮徹壱】

 その後、フリューゲルスの選手とスタッフは、横浜市内のホテルに戻って盛大なビールかけと祝勝会を行った。しかしそれは、天皇杯というタイトルを獲得した喜びというよりも、最高の仲間たちとの別れを惜しむ気持ちのほうが強かったに違いない。そんな貴重で濃密な時間を、高橋は無心でカメラで切り取り続けた。その間、感傷に浸る暇はなかったという。

「撮影機材を片付けて撤収した時ですかね。『ああ、これでもうフリューゲルスと再会することはないんだな』って、そこで初めて思いました。その後、メモリアルブックの発行があって、ポジフィルムの貸出業務なんかはあったけれど、それも少しずつなくなっていって……。ただその後も、移籍先のチームや代表戦なんかで、元フリューゲルスの選手たちと再会するのはうれしかったですね。何だかすごく懐かしい気分になりましたから」

美談となり、生贄となったフリューゲルス

最後の公式戦でタイトルを獲得したことで、美談となった「Fの悲劇」だが、この歴史を風化させてはならない 【写真:岡沢克郎/アフロ】

 あれから20年が経過した。フォトグラファーの高橋は、その後フリーランスに転じ、今もサッカーやフィギュアスケートの世界で精力的に活躍している。一方、サポーターとライターの女性2人は、スタジアムから足が遠のいて久しい。現在、関西に移住して夫と息子の3人で暮らすハシモトは、20年前を振り返りながら「フリューゲルス以後」のJリーグをこのように総括する。

「フリューゲルスの消滅は、今にして思うといろいろな意味で日本サッカーの転換期に起こった出来事でしたよね。もしも当時、J2とかJ3とかがあって市民クラブが主流だったら、あんな悲惨なことにはならなかったと思います。でも、あの悲劇があったからこそ、大企業に依存しない市民クラブが増えていったとも思うので、そこは難しいですよね」

 フリューゲルスの取材に関しては、「常にサポーターの側に寄り添ってきた」と自負するハシモト。そんな彼女がフリューゲルスに対し、情緒感を排してフラットかつ冷徹な視線を保ち続けたのはなぜか。もちろん当人の資質や性格もあろうが、翌99年に設立された横浜FCを引き続き追いかけてきたことも、理由のひとつに挙げられよう。その横浜FCの立ち上げには、実は川村が深く関与している。理由は、愛するクラブを失ったサポーターのために、新しい受け皿を作るためであった。しかし横浜FCは「新しいフリューゲルス」とはなり得なかった。

「私が作りたかったのは新しいクラブではなくて、『新しいフリューゲルス』だったんです。だから最初のうちは、私も横浜FCを応援していたんですよ。でも、だんだん『これは違うな』と思うようになって、やがてスタジアムから足が遠のいていきました。結果的に、またもや居場所を失った私は、2回死んだような気持ちになりましたよ。そしてASA AZULも、解散式をやらないまま自然消滅しました」

 最後の公式戦でタイトルを獲得したことで、「Fの悲劇」は美談となった。そしてフリューゲルスが、のちに経営危機に見舞われるクラブのための「サクリファイス(生贄)」となった面も、確かに否めない。しかし、それらはしょせん結果論。現にこうして「2回死んだような気持ち」になったサポーターが存在することを、ゆめゆめ忘れるべきでないだろう。

 最後に、個人的な希望に基づく提案をして、本稿を締めくくりたい。「あれから20年」という節目を契機に、当時の選手やスタッフ、そしてサポーターが集い、語らう機会を作ってはどうだろうか。もちろん簡単な話ではないことは十分に承知しているが、歴史の風化を押し止める意味でも、ぜひとも実現してほしいと心から願う次第だ。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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