2000安打を達成した福浦和也の姿勢 同期の小野晋吾コーチが託す次の夢

千葉ロッテマリーンズ

1993年のドラフト6位と7位

ロッテ一筋25年で通算2000安打を達成した福浦。達成会見では笑顔がこぼれた 【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

 偉業達成の数日前。福浦和也の通算2000安打が迫っていた日のことだった。

「同期として誇らしいですし、彼の努力する姿をずっと見てきているので、やはり達成してほしい思いが強いです」

 2軍本拠地のロッテ浦和球場で小野晋吾二軍投手コーチが思い返したのは、1993年11月のドラフトのこと。6位で御殿場西高の小野、7位で習志野高の福浦と、高卒でドラフト指名を受けた下位指名の2人。そこから20年以上の月日をともにすることになった。

「入団当時はお互いピッチャーで、僕がヒジを壊して、福浦もすぐケガをして、ひたすらトレーニングをするしかなかったんです。毎日走って、腹筋、背筋、体幹トレーニングなど、きつかったですけど、それが後々生きてきたという思い出があります」

 若い2人は“フューチャー・マリーンズ”と周囲から呼ばれていた。「からかわれている感じでしたけどね。これでプロ? というレベルの選手で、本当にいつクビになってもおかしくないような2人だったと思います」と小野コーチは笑って振り返る。先輩投手陣を含めた“フューチャー・マリーンズ”のメンバーは明るい未来を背負っていた。しかし、2年目を終えた年に先輩投手は皆チームを去り、2人だけが残された。

目指すはZOZOマリンでの胴上げ

同期の小野晋吾コーチの引退セレモニーでは、福浦が打席に入り、1打席対決を繰り広げた 【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

 一気に危機感に苛まれたという小野コーチは、野手に転向した福浦の姿勢にも変化を感じたという。「僕ら投手が帰っても、ずっとトレーニングやバッティングをしていて、それがあったから今があるのかなと思いますね」と必死の日々を回想する。地道な積み重ねは実を結んだ。お互いに1軍の主力として定着し始めた頃には「誰も俺たち2人がここまでやれるとは思っていなかったよな」と認め合うように言うことができた。

 小野コーチが現役を退いたのは2013年。入団から20年が経ち、2人はすっかりベテランとなっていた。小野コーチの引退会見では福浦が花束贈呈を務め、引退式では1打席対決を繰り広げた。18年の今は、現役野手と投手コーチという立場で、同じユニホームを着て同じ目標を共有している。

「2人で優勝を経験できたのは一番の思い出です。ただ、和也も言っていますが、やり残したことといえば、ZOZOマリンで一度も胴上げをしていないこと。それを達成するために僕はコーチとして選手を育てているつもりです。和也もチームが勝つことが一番で、勝ちにつながる1本を大事に積み重ねています。やはり優勝したいモチベーションでやっていると思います」

1/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント