去りゆく“松坂世代”の思い出 村田、後藤、杉内を伊原春樹氏が語る

週刊ベースボールONLINE

村田はナイスガイ、真面目な後藤

9月9日の引退試合であいさつを行った村田修一。伊原氏とは直接チームメートになったことはないが「ナイスガイ」と評している 【写真:BBM】

 シーズン最終盤になると今季限りでユニホームを脱ぐことを表明する選手が出てくる。その中でも目立つのはいわゆる“松坂世代”の選手だ。

 9月9日にはBCリーグ・栃木の村田修一が引退試合を行った。昨年、巨人から戦力外通告を受け、NPBでのプレーを模索していたが結局、それがかなわなかった。私は2011年まで巨人に籍を置いており、翌年入団の村田とは入れ違いとなったが、話してみると非常にナイスガイだ。野球に懸ける情熱もあり、ほかの球団が獲得しても絶対にマイナスになることはなく、若手選手の手本にもなると思っていただけに、余力を残しながらの引退は非常に残念だ。

 10日には横浜DeNAの後藤武敏が引退を表明。後藤は03年、法政大から自由獲得枠で西武に入団してプロ生活がスタートした。当時の監督は私だったが、スカウトの評価は「足は遅いけど、打撃はいい」だった。評判通り、オープン戦でセンスのいい打撃を発揮していただけに期待はふくらんだ。そんな折、主砲・カブレラが右肩痛を訴えて、開幕に間に合わないことが判明。4番の不在にどうしようかと考えを巡らして出した答えが後藤の抜てきだった。新人としては1959年の桑田武(大洋)以来、44年ぶりの「開幕4番」だったという。

 開幕の日本ハム戦は3打数ノーヒットに終わり、チームも1対4で敗れ去ったが、試合後は若獅子寮の玄関前で黙々と素振りに励む後藤の姿があった。続く第2戦の同カード、ふたたび4番に入った後藤は5回無死二、三塁の好機にライトへプロ初安打をマーク。プロ初打点も挙げ、見事にチームの勝利に貢献してくれた。とにかく、このエピソードが示すように、練習に手を抜かず、真面目な男だった。

見違える投球を披露した03年の杉内

 後藤がプロ入りする前年、福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)に入団したのが杉内俊哉だ。松坂世代を代表する左腕も12日、引退会見を行った。小柄な体ながら通算142勝。本当によく頑張ったと思う。この杉内、1年目は西武監督を務めていた私の目には攻略が難しいとは感じていなかった。そのとおり、ルーキーイヤーは2勝に終わっている。

 しかし翌03年、見違えるようなピッチングを披露した。ベンチから見ていると簡単に打てそうに見えるのに、打者が打ち取られる。140キロ少しのストレートに詰まってしまうのだ。打者の手元でピュッとひと伸びしていたのだろう。スライダー、チェンジアップのキレ味も増し、攻略困難な投手になっていた。何とか塁に出て、足でかき回すしかなかった。杉内はクイックをするが若干、リリースまでに間があり、そこにスキがあったからだ。しかし、肝心のランナーがなかなか出なかった記憶がある。

 さらにこの年、これも松坂世代の和田毅、新垣渚がプロ入り。斉藤和巳も大躍進を果たし、前年と打って変わって強固な投手陣になったダイエーに敗れ、連覇を逃してしまった苦い記憶がある。

 去りゆく松坂世代の一方で台頭してくる世代もある。特に私が期待したいのは高校3年生の野手たちだ。ドラフト1位候補である小園海斗(報徳学園)、根尾昂、藤原恭大(ともに大阪桐蔭)は1年目から1軍でレギュラーとして使いたくなるほどの魅力がある。この“コネフジ世代”の未来も非常に楽しみだ。
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