連載:指導者として

【戸田和幸連載(7)】頭と身体をリンクさせることが重要 試験休み中に実施した「初めての試み」

戸田和幸

「Cチームが一番難しい戦いを強いられるんだよ」

試験明けのトレーニングでは頭と身体がリンクしない選手が続出し、一時的にトレーニングがカオスに(写真はイメージ) 【宇都宮徹壱】

 想像していた通り、試験明けのトレーニングでは頭と身体がリンクしない選手が続出し、一時的にトレーニングがカオスと化しました。

 難しいトレーニングではなく、体を動かしながら認知に働きかける鬼ごっこやボールワークからスタートし、少しずつサッカーとCチームのコンセプトを加えた内容に移行させていきましたが、半月とはいえ本格的なトレーニングから離れると随分出来なくなるものなんだなと、それまで自分が選手達に求めてきたものを再確認する意味でも良い気付きを得られました。

 見て選んで実行する。

 見る場所の優先順位が存在し、幾つかの選択肢の中からその状況を打開、もしくは改善する為に最適なものを選ぶ。

 こうやって言葉で説明すれば出来そうなものですが、やっぱり難しいんだなと、でもそれらを携えながらチームとしてプレーしてきたからこその前期2勝だったなという事を、再開した初日に強く感じました。

 その時点でリーグ再開までひと月、まずはやるべき事をもう一度思い起こさせ、頭の中からリスタートしました。
 頭の中がボケボケでDチームとのトレーニングマッチでのパフォーマンスが物足りなかった時は「このままだったらリーグは辞退した方がいい」という事を言ったりもしました。

 今まで彼らに何度も伝えてきた言葉があります。
「Cチームが一番難しい戦いを強いられるんだよ」と。

 Aチームが関東2部で闘うよりも、Bチームがインディペンデンスリーグ(Iリーグ)1部で闘うよりも、DチームがIリーグ2部で闘うよりも。
 CチームがIリーグ1部で闘う事が一番難しいんだよと伝えてきました。
 だけれども、それは一番やりがいのあるチャレンジでもあり、格上を食っていける楽しさがあると。
 そうも伝えてきました。

 難しい事から逃げるのか、難しいからこそ、その先にあるキラキラしたものを掴みに挑むのか。
 選手によってかなりのバラツキがあるのは事実です。
 皆それぞれに努力の定義があり、基準があります。こちらから一方的に「やれ」と伝えたところで、彼らが心底そこに辿り着いてくれることは絶対にありません。

 僕に出来る事は、少数でも本気で勝つ為に努力出来る選手、本気で上を目指す選手を生み出す事です。

後期Iリーグで感じている手応えと課題

 その為には健全な競争が必要で、評価基準を明確にしながら、特に試験休みが明けてしばらくは一度フラットな状態に戻して、それまでの日々より良いパフォーマンスを見せてくれた選手を優先してチームを組み、試合に起用しました。

 前期レギュラーだった選手の中には明らかに頭がボケたまま、何となくトレーニングを続けていた選手がいたので、言葉で伝えるのではなくサブ組でプレーしてもらう事で「今のままじゃまずいよ」と伝え奮起を促しました。

 8月の下旬前には茨城県神栖市波崎町にて開催されたフェスティバルに参加し、優勝出来ました。
 参加した大学を見るとIリーグで闘う事になる各チームとかなりの差があるのは事実で、そう簡単に6点、7点と奪えるわけではありません。

 少しずつではありますがチームとしてのベースの上に個人の色が出始めた事、宿舎での部屋割りも自分が決め、グループワークのようなものにも取り組んでもらい、局面ごとのイメージの共有が進んだ事も良い方向に表れたと感じました。

 既に後期が始まり、国士舘には2−2、早稲田とは2−3と白星には恵まれていませんが(編注:9月5日現在)、数は多くないものの取り組んできたものが形となってチャンスや得点が生まれている事は好材料だとポジティブに捉えています。
 反面、失点については局面における個人の大きな失敗が直結してしまっているので、チームとしてだけでなく、個人に対しても危険な場所から守ること、粘り強く対応する事を映像も使いながらアドバイスしています。

 勝つところまで持っていける為の“何か”を考え、探しながらの日々となっていますが、一貫したコンセプトで取り組んできている分、課題の抽出は簡単に出来ますし、お互いの理解を深める形でのディスカッションも出来ています。

 後はそれぞれにとってどれだけ的確な指導が出来るかに懸かってきているので、ポジション毎や個々の持つ課題に照らし合わせた内容のトレーニングを組み、幾つかのステーションに分けて行う事でダイレクトな課題の克服に取り組んでいます。

 それではまた次回。

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著者プロフィール

桐蔭学園高を卒業後、清水エスパルスに加入。2002年ワールドカップ日韓大会では守備的MFとして4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献。その後は国内の複数クラブ、イングランドの名門トッテナム、オランダのADOデンハーグなど海外でもプレー。13年限りで現役を引退。プロフェッショナルのカテゴリーで監督になる目標に向けて、18年からは慶應義塾大学ソッカー部のコーチに就任。また「解説者」というサッカーを「言語化」する仕事について、5月31日に洋泉社より初の著書『解説者の流儀』を出版

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