今江年晶が東北で取り戻した笑顔 エリートが知った初めての挫折と復活

週刊ベースボールONLINE
 2015年オフに千葉ロッテから東北楽天へFA移籍し、3年目を迎えた今江年晶。これまでは故障続きで本領を発揮できないままだった。だが、今季は違う。最下位に低迷するチームの中で、ようやく放った存在感。35歳となったが、まだまだ健在であることをアピールする。

純粋に野球を楽しむ今季

FA移籍から3年。ようやく存在感を放っている今江 【写真:BBM】

 4月21日のオリックス戦でクローザー・増井浩俊から放った一発は、今江年晶の通算100号となった。17年目で迎えた節目。だが本人は手放しでは喜べなかったようだ。「ちょっと恥ずかしいというかね。周りの人からは『まだ100号だったんだ』と言われましたから。やっとって感じです」。ただ、ロッテから楽天への移籍後、ケガに苦しみ続けてきたベテランは、その一発を復活への号砲といわんばかりに今季はチームの主軸へと返り咲き、その存在感を見せつけている。

 勝負強さも健在で、「打順は気にしたことないです」と言うが、4番に座った46試合で43安打20打点(8月28日時点)。チャンスではやはり、期待せずにはいられない。ロッテ時代には日本シリーズMVPを2度獲得し、ゴールデン・グラブ賞にも4度輝くなど、勝負強さと実績を兼ね備えたヒットメーカー。どん底の2年間を経て、本来の姿を取り戻し始めた。さらに、練習中も若手に引けを取らないほどの声を出し、大きな笑顔を見せる。今江はいま、仲間との野球を純粋に楽しんでいる。

常に任されたキャプテン

 小さいころから、周りよりも何でもうまくできた。幼稚園の休み時間に野球をやることが多かった今江少年は、人よりも体が大きく目立つ存在だった。友達の兄が少年野球に入っていたこともあり、小学3年から入ることができる少年野球チームに特例で、幼稚園の年長から入ることに。それほど体もパワーも図抜けていた。

「人よりも強く打てたり、投げられたり、走れたりしていたので、プロ野球選手には普通になれるやろなと思っていたんですよ。まあ、子どもでしたからね」

 小学校6年時には身長174センチ。そのころから、プロ野球選手は夢ではなく、目標だった。中学に入ってもその状況は変わらず、少しずつ周りが追いついてきても、まだチームの中心にいた。

 そんな中、プロ野球選手になるために選んだのが、プロのスカウトも多く訪れるPL学園高だった。そのころの今江にとって、甲子園出場は一つの通過点。さまざまな高校からの誘いはあったが、少年野球チームの先輩である覚前昌也氏(PL学園高→大阪近鉄)の「プロ野球選手になりたいんやったら、PLに来たほうがいいよ」という言葉で決心がついた。

 入学後、1年時から4番を任され、2年時には甲子園にも出場している。「先輩方の甲子園出場に貢献できたことはうれしかったです。でも、甲子園では結果が残せなかったので、苦い思い出ですね」。自身は3安打にとどまり、チームは3回戦で敗れた。だが、このときはまだ2年生。強豪校でもチームの中心にいた今江は、3年時にはキャプテンも務めた。再び甲子園に出場することは叶わなかったが、秋にはドラフト3巡目でロッテへの入団を決めた。「やっと野球だけできるんや」。それが最初に感じたことだった。

 小学時代からキャプテンを任され、常にチームのことを考えながら野球をしてきた。高校でも厳しい寮生活に加え、キャプテンという重責を背負い、「野球をやっている」という感覚が薄かったという。「やっと自分のことだけ考えて野球ができる」。夢を叶えたという気持ちよりも、安ど感のほうが大きかった。だがそれは、順風満帆だったことの裏返しとも言える。体格にも才能にも恵まれていた今江は、大きな挫折なくプロへと歩みを進めた。

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