今江年晶が東北で取り戻した笑顔 エリートが知った初めての挫折と復活
純粋に野球を楽しむ今季
FA移籍から3年。ようやく存在感を放っている今江 【写真:BBM】
勝負強さも健在で、「打順は気にしたことないです」と言うが、4番に座った46試合で43安打20打点(8月28日時点)。チャンスではやはり、期待せずにはいられない。ロッテ時代には日本シリーズMVPを2度獲得し、ゴールデン・グラブ賞にも4度輝くなど、勝負強さと実績を兼ね備えたヒットメーカー。どん底の2年間を経て、本来の姿を取り戻し始めた。さらに、練習中も若手に引けを取らないほどの声を出し、大きな笑顔を見せる。今江はいま、仲間との野球を純粋に楽しんでいる。
常に任されたキャプテン
「人よりも強く打てたり、投げられたり、走れたりしていたので、プロ野球選手には普通になれるやろなと思っていたんですよ。まあ、子どもでしたからね」
小学校6年時には身長174センチ。そのころから、プロ野球選手は夢ではなく、目標だった。中学に入ってもその状況は変わらず、少しずつ周りが追いついてきても、まだチームの中心にいた。
そんな中、プロ野球選手になるために選んだのが、プロのスカウトも多く訪れるPL学園高だった。そのころの今江にとって、甲子園出場は一つの通過点。さまざまな高校からの誘いはあったが、少年野球チームの先輩である覚前昌也氏(PL学園高→大阪近鉄)の「プロ野球選手になりたいんやったら、PLに来たほうがいいよ」という言葉で決心がついた。
入学後、1年時から4番を任され、2年時には甲子園にも出場している。「先輩方の甲子園出場に貢献できたことはうれしかったです。でも、甲子園では結果が残せなかったので、苦い思い出ですね」。自身は3安打にとどまり、チームは3回戦で敗れた。だが、このときはまだ2年生。強豪校でもチームの中心にいた今江は、3年時にはキャプテンも務めた。再び甲子園に出場することは叶わなかったが、秋にはドラフト3巡目でロッテへの入団を決めた。「やっと野球だけできるんや」。それが最初に感じたことだった。
小学時代からキャプテンを任され、常にチームのことを考えながら野球をしてきた。高校でも厳しい寮生活に加え、キャプテンという重責を背負い、「野球をやっている」という感覚が薄かったという。「やっと自分のことだけ考えて野球ができる」。夢を叶えたという気持ちよりも、安ど感のほうが大きかった。だがそれは、順風満帆だったことの裏返しとも言える。体格にも才能にも恵まれていた今江は、大きな挫折なくプロへと歩みを進めた。