今江年晶が東北で取り戻した笑顔 エリートが知った初めての挫折と復活
一変した野球人生
ロッテで三塁の定位置を獲得すると、05年の日本シリーズではMVPに輝く 【写真:BBM】
そんな中、15年シーズン終了後に大きな決断をする。それが海外FA権の行使だ。その年は死球によるケガもあり、出場数が減っていた。さらにロッテとの2年契約2年目。今後の野球人生を考えたとき、何かを変えるならこのタイミングしかなかった。だが、環境を変えてもレギュラーの保証はどこにもない。これまで応援してくれたファンや支えてくれたチームメート、球団。それらを思うと、寂しさがあふれ出てきた。
だが、あえてイバラの道を選んだ。それは自身のさらなる成長を望んだから。「迷ったら前に進もう」。家族の後押しも力となり、東北の地へ行くことを決めた。だがその決断により、想像以上に険しい道を歩むことになる。
移籍初年度はロッテ時代に発症したふくらはぎ痛が再発し、春季キャンプを2軍で迎えた。開幕には間に合ったものの、死球によるケガなども重なり、89試合出場にとどまる。だが何よりも厳しかったのは守備位置のレギュラー争いだったかもしれない。本職のサードにはウィーラーがおり、ファーストには銀次がいる。ロッテの顔だった男は、自らの居場所を見つけられずにいた。
移籍2年目は、銀次のセカンド兼任によりファーストに定着。筋膜炎による一時離脱はあったものの、レギュラーの座はほぼつかんでいた。しかし、再び不運が今江を襲う。7月27日の福岡ソフトバンク戦で守備中に松田宣浩と交錯し、左手首を負傷。残りのシーズンを棒に振った。クライマックスシリーズには代打で出場したものの、シーズン51試合は05年のレギュラー定着後最少の出場数だ。期待を受けての移籍だっただけに、もどかしさは募るばかり。
「この世界は結果を出したもん勝ちなんですよ。僕は結果を出せていなかったし、ケガによって結果を出す舞台にも立てていない。いろんな感情が湧いてきました」
試合に出られない悔しさ、そして結果が出ない悔しさ。それらと戦う日々が続いた。小さいころから誰よりも図抜けていた今江にとって、こんな経験は初めてだった。
これまで順調だった野球人生。それが、移籍によって一変した。
「これは何かのお告げなんだと、今後のためなんだと思ってやらないと、地面の底の、コンクリートの下で僕はもう眠っていたと思います(笑)」
そう振り返るほど、どん底だった。気持ちを前向きにしておかなければ立ち上がれないほどに……。
支えてくれる妻の存在
15年オフに楽天へFA移籍。新天地での活躍を誓ったが、苦しいシーズンが続いた 【写真:BBM】
自身の性格は「めちゃめちゃネガティブ」というそんな今江を支えたのが、04年に結婚した幸子さんだった。苦しいとき、いつも前向きな言葉をかけてくれた。
「『偶然なんかほとんどない。すべてにおいて必然と思ってやるしかない』と言ってくれて。確かにそうやな、と」
嫌なことがあると、どうしても「自分だけが最悪なんだ」と思ってしまう。そんなとき、今後のために今があるのだと、視野を広げてくれた。その支えのおかげで踏ん張ることができた。
「嫁さんがいなければ今の自分はないなって、本当に思います」
どん底だった2年間を終え、返り咲いた。だが、まだまだこんなもんじゃない。「ケガがなければ今くらいは最低限できるかなという考えですし、もっとできるのにな、と思いながら今はいます」。それは打撃だけではない。サードが今江の本当の居場所。本職であるサードは、今でももちろん、思い入れの強いポジションなのだ。
高校まではショートだったが、プロに入り、自身の肩のことを考えるとサードのほうが自分に合っていると感じるようになっていく。さらにショートには名手・小坂誠がいたこともあり、徐々にサードをやりたいと思い始め、自らコンバートを申し入れた。プロで生き残るために選んだポジション。移籍したからといって、簡単に手放すわけにはいかない。それでも、「僕はサードじゃないと嫌だとか、そんなことを言える立場じゃないですから」と、ファーストや指名打者での出場が続く中でも結果を求め、チームに貢献している。ただ、あきらめたわけではない。ウィーラーとの熾烈なポジション争いに今後も挑んでいくつもりだ。
移籍により苦しい時間も経験したが、同時にチームが変わったことで新たな楽しみも増えた。
「良い意味でも悪い意味でも、楽天はすごくみんな仲がいいんですよ。チームメートはもちろん、球団の関係者の方もとても温かい。東北という土地柄もあるのかもしれませんが、ファンの方も含め、すごく一体感がある」
初めての移籍に多少の不安はあったが、PL学園高の先輩である松井稼頭央(現埼玉西武)が気さくに話しかけてくれたことも大きかったという。そして何より、年齢が近い選手が多く、チームになじむのに時間はかからなかった。
「僕は17年目なのでベテランと呼ばれる年齢ですから、年下からはなかなか絡んできてもらえないんですよ。でも同じ年の人がいたら、突っ込んだり突っ込まれたりして、やっぱり楽しいんですよね」
仙台では、家族と離れて独り暮らしをしていることもあり、「球場、ロッカーに来るのがすごく楽しいんです」とうれしそうに話す。笑顔の源はそこにあるようだ。
8月26日で35歳となった。だが、今季の活躍は序章に過ぎない。「まだまだ打率も打点も残したい、残せると思っています」。衰えなど感じさせず、まるで野球を始めたばかりの少年のように目を輝かせ、笑顔でプレーをする背番号8の姿がある。チームが下を向きそうなとき、今江がその笑顔で引っ張っていってくれるだろう。大好きな仲間とプレーできる喜びをかみしめながら。
(文=阿部ちはる、写真=川口洋邦、BBM)