セリーナが愛娘から学ぶベイビーステップ 「母親とアスリートの共存」をも推進力に

内田暁

出産後初のウィンブルドンで準優勝

出産後の復帰イヤーを歩むセリーナ。復帰後2度目のグランドスラムで、早くも決勝に進出し、準優勝のプレートを手にした 【写真:アフロ】

 伝統と格式を重んじるウィンブルドンでは、他のグランドスラムとは異なり、コート上で選手へのインタビューが行われることがない。ただ唯一の例外が、決勝戦の表彰式後。
 女子シングルスの決勝後――セリーナ・ウィリアムズ(米国)の声が、初めて直接ファンへと向けられる。「とても素晴らしい気分だけれど、同時にとてもがっかりしている。でも優勝するために、できることは全てしたので……」
 胸のなかでせめぎ合う感情を真っすぐ形にしたその言葉は、湧き上がる声援に幾度もかき消され、最後まで聞き取ることは困難だった。
 過去この地で7度優勝プレートを掲げた女王の帰還を、センターコートは温かく、そして熱狂的に迎えていた。

 今年9月で37歳を迎えるセリーナが、出産を経てウィンブルドン決勝の舞台に立っていることは、本人の言葉を借りるなら「数カ月前までは想像もできなかったこと」である。セリーナは昨年1月の全豪オープンで23度目の4大大会優勝を成し遂げ、シュテフィ・グラフ(ドイツ)が持つオープン化以降のグランドスラム最多記録を塗り替えた。その数カ月後には妊娠を発表し、9月1日に女児を出産。ただその際に血栓などの合併症を患い、合計4度もの手術を経験する。1カ月以上はベッドから身を起こすこともできず、退院後も「郵便受けまで歩いていくのも難しかった」という。

 それでも、彼女はコートへと戻ってきた。それは、多くの選手からモチベーション維持を不思議がられるロジャー・フェデラー(スイス)をして、「彼女には、このままコートを離れる理由が山程あった」と言わせしめるほどに、異次元の情熱を要したはずだ。だがセリーナは、多くの障害に阻まれながらも、戻らないという選択肢を考えはしなかったという。「働く女性としてのロールモデルでありたい」という使命感に似た自覚もあった。

出来過ぎなのか、まだまだなのか 自問した数カ月

復帰後の自分は何を求めているのか、揺れ動く心を抱えながらも決勝に勝ち上がった 【写真:代表撮影/ロイター/アフロ】

 その彼女の復帰への道のりは、種々の葛藤が敷き詰められた険路だった。「子供と一緒にいることが、私のファーストプライオリティー」と言うものの、トップアスリートとしての彼女は「子供が気になりテニスに100パーセント没頭しきれない」ことに歯がゆさを覚えた。今年3月のツアー復帰後には早期敗退も続き、「もっとできるはずだと思ってしまった。現実を受け入れることが何より難しかった」という。その後は大会出場を見送り、フットワークを中心にトレーニングへと打ち込んだ。その上で出場した先の全仏オープンや今回のウィンブルドンでは、活躍を予想する声に「ちょっと待ってよ、私がたどった道を思えばこれでも出来過ぎじゃない?」と時に反発し、なのに周囲の期待値が下がると「腹立たしくも感じた」。自分でも自分の真意を測りかね、「ちょっと待ってよ、あなたはどっちを望んでいるの?」と自問し続けた数カ月間だったという。その揺れ動く心の針のバランスを取りながら、彼女は決勝まで勝ち上がった。

 決勝で相対したアンゲリク・ケルバー(ドイツ)は、子供の頃からの夢であったウィンブルドン優勝に向け、対セリーナ戦に向け揺るぎない決意を胸にコートに立っていた。気持ちで守りに入らず、攻撃的な姿勢を貫くこと。そして常に打つコースを変え、相手を動かし続けること。

「彼女に勝つには、常に走らせるしかないと思っていた」

 その策を完遂したことに、勝者は誇らしげに胸を張った。
 対するセリーナは、「アンジー(ケルバーの愛称)は、素晴らしいプレーをした」と相手に惜しみない賛辞を送る。同時に「自分が望み、諦めさえしなければ、そうありたいと思う自分になれるということを、世の女性にも示せたと思う」と言った。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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