「最後のクラシカルなW杯」を総括する 日々是世界杯2018(番外編)

宇都宮徹壱

最高の運営だったロシアW杯

ファイナルから一夜明けたクレムリン横のグム百貨店にて。「メッシ」と少し寂しい再会を果たす 【宇都宮徹壱】

 ロシアで行われたワールドカップ(W杯)の決勝から一夜明けた7月16日、久々にモスクワの赤の広場を散策してみた。月曜日だというのに、周囲は観光客で溢れていたが、ユニホームを着たサポーターの姿は目に見えて少なくなっていた。大会関連の施設やサインも少しずつ撤去され、オフィシャルグッズのたたき売りが始まっているとも聞く。昨夜は原稿の締め切りに追われて、余韻に浸る暇もなかったのだが、モスクワの街がまたたく間に日常の中に埋もれていくのを見て、今大会が終わることに私もようやく一抹の寂しさを感じるようになっていた。

 間もなくロシアを去るにあたり、記憶が鮮明なうちに今大会について総括を試みたいと思う。とはいえ、日本代表についてはすでに総括原稿を書いているので、今回は大会全体について、ピッチ内とピッチ外に分けてそれぞれ個人的な考察を記す。その前提として確認しておきたいのが、このロシア大会は「非常に成功した大会だった」ということだ。大会そのものの収支や経済効果については、もう少し時間が経たないと明確な数値は見えてこないだろう。それでも現地に1カ月滞在してみて、これほどストレスを感じることなく取材に集中できたW杯は初めてである。それは、現地を訪れたサポーターも同意見であろう。

 確かに前回のブラジル大会、そして前々回の南アフリカ大会と、観戦者にとってハードルの高い大会が続いていたのは事実である。だが今大会では、治安の不安やインフラ整備の遅れがなかっただけでなく、交通も食事もネット環境もすこぶる快適であった。また、地元の人々の親切心には何度となく触れることになったし、何より試合会場のボランティアスタッフの実務レベルは非常に高く感じられた。それまで、かの国のことを「おそロシア」と揶揄(やゆ)していた人たちも、実際に現地の人々のホスピタリティーに接して、ロシアという国に対するイメージが一変したのではないだろうか。

 一方で不便に感じた面としては、英語があまり通じなかったことに加え、警備がやたらと厳しかったことが挙げられよう。空港やスタジアムのみならず、鉄道や商業施設でも金属探知機が設置されているのを見るにつけ、一見平和に見えながらも常にテロのリスクを抱えているこの国の現状を垣間見る思いがした。それでも今大会の成功は、ウラジーミル・プーチン政権の威信が懸かっており、テロやフーリガンの脅威を完璧に近い形で封じ込めたのは、「警察国家」ロシアの面目躍如と言える。だが最後の決勝の舞台で、政治的メッセージを訴えようとしたロックバンドの乱入を防げなかったのは、さぞかし痛恨だったに違いない。

セットプレーによるゴールとVARについて

今大会から正式導入されたVAR。いろいろ議論はあったが、今後は定着していくことが予想される 【宇都宮徹壱】

 ピッチ内の総括については、今後さまざまなデータによる検証が行われるだろうから、ここでは最も分かりやすい「ゴール数」という数値から考えてみることにしたい。今大会64試合の全ゴール数は169得点で、1試合平均は2.64。1998年のフランス大会と2014年のブラジル大会が共に171得点で、歴代3位に終わったことになる。もっともこれら2大会では、グループステージ3試合で1ゴールというチームが、98年大会は5チーム、14年大会は3チームあった。しかし今大会は、すべてのチームが2ゴール以上を挙げている。こうしたボトムの底上げは、案外無視できない数字ではないだろうか。

 今大会のゴールの特徴として、セットプレーからの得点が多かったことは周知のとおりである。FKやCK、そしてPKによるゴール数は73に及び、総ゴール数の43%に及んだ。このうち格段に増えたのがPKによるゴールで、22と過去最多。PKを含むセットプレーのゴールが増えたのは、言うまでもなくビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の導入が大きく影響している。このデータを、優勝したフランスに当てはめると実に興味深い。フランスは今大会の7試合で14ゴールを挙げているが、セットプレーからのゴールは6で、そのうちPKによるゴールは半分の3。またVARの判定で得たゴールは2つあった。

 思えば今大会のフランスにとり、VARは極めて重要な場面で発動されている。とりわけオーストラリアとの初戦では、彼らはかなりの苦戦を強いられていた。アントワーヌ・グリーズマンのPKで先制したものの、4分後には同点に追いつかれ、最後は後半36分にポール・ポグバのゴール(試合後、オウンゴールに訂正)が認められてようやく勝ち越し。またクロアチアとの決勝も、前半1−1の状況からVARの判定でフランスにPKが与えられ、これをグリーズマンが決めたことで流れを引き寄せることができた。もちろん「フランスはVARのおかげで優勝した」と言うつもりはないが、少なからず救われた部分があったのも事実である。

 一方で、グループステージ第3戦で韓国に敗れたドイツのように、今大会はVARの判定に泣かされた強豪チームもあった。しかし今後、VARは世界のサッカー界のスタンダードになってゆくだろう。私がそう感じるのは、こうした変化に最も敏感であるはずの選手から、VAR判定を促す「四角い窓」のジェスチャーがたびたび見られたからだ。彼らが求める「正当なジャッジ」が、VARとイコールであるかどうかは意見が分かれるところである。が、すでに「パンドラの箱」は開かれてしまった。少なくともVARを容認する流れは、今大会で不可逆的になったというのが、今大会を取材しての実感である。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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