香港が挑むボクシング・ムーブメント 第2の“レックス・ブーム”となるか?

善理俊哉

村田諒太のマカオ遠征にいた陰の主役

トップランク社のマカオ興行で前日計量に臨んでいた頃のレックス 【写真提供:DEFプロモーション】

 ブルース・リーやジャッキー・チェンなど、日本国民も大いに魅了したカンフー映画俳優たちが拠点とした香港であれば、西洋格闘技の王道、ボクシングの文化が盛んであってもなんら違和感はない。そもそもこの街は、ほんの21年前までボクシング発祥国イギリスの植民地支配下にもあったのだ。しかし、現実世界での香港にはボクシングを楽しむ土壌がなく、五輪はおろかアジア大会のボクシング競技でも、代表選手がトーナメント前半で早々に敗退してばかりだった。

 ところが数年前、世界最大のプロボクシング市場を持つ米国の勢力争いが、この街にプロボクシングブームを舞い込ませることになる。

 当時の米国では、オスカー・デラホーヤ代表のゴールデンボーイ・プロモーションズ社とボブ・アラム代表のトップランク社が大きく対立。劣勢となった後者は、巨大カジノを軸とした中華圏市場にテコ入れを始めた。その最初のターゲットは香港の近場マカオ。2014年2月には、中国ボクシング界最大のパイオニアであるゾウ・シミン(中国)や日本の国民的ヒーローとなった村田諒太(帝拳)、東欧期待のイゴーリ・メホンツェフ(ロシア)ら五輪金メダリストが競演する興行も行われている。

 しかし、この興行で最も大きな注目を集めたのは、香港で地味な活動を続けていたレックス・チョー(香港)だった。「香港初のプロボクサー」(諸説あり)と売り込まれたレックスは、その後も現地で確固たる人気を誇ったが、真のブレークは、マカオのカジノ市場が衰退し、トップランク社が撤退した後のことだった。

 米国資本という大きな後ろ盾を失ったレックスだが、マカオでの実績は香港人たちに「グローバルな大活躍」と認識され、所属先のDEFプロモーションズ社は、かつて赤字前提で行っていた香港興行を一変させる。最大のイベント会場であるコンベンションセンターで、毎試合8000枚の観戦チケットを完売させるようになったのだ。

やがて望まれるようになったレックスvs.井上尚弥

世界戦でないにもかかわらず、レックス戦は新聞各紙が一面で報じる 【善理俊哉】

 レックスの保持するタイトルはWBO(世界ボクシング機構)のアジア・パシフィック王座であり、世界王座ではない。それでもそのスーパースターぶりは異様で、筆者も国際空港の巨大スクリーンに映し出される企業コマーシャルから、彼に出迎えられたのを覚えている。街を歩いても、スポーツ用品店から地下鉄の駅までレックスのポスターを見かけることは多く、香港人たちが西洋格闘技に抱いていたアウトローなイメージも、レックスはスマートなものに一変させているを感じた。

 ただ、このムーブメントはファンたちに基礎知識を学ばせ、こんな揶揄(やゆ)が次第に大きくなっていく。

「ボクシングではランキング1位になれば、チャンピオンに挑戦する権利がある。ところがレックスは、その権利を放棄してまで、チャンピオンの“モンスター”から逃げている」

 たしかに“モンスター”こと当時のWBO世界スーパーフライ級王者・井上尚弥(大橋)は、2位以下の選手と戦うばかり。WBOには、実績を積んだ王者をスーパー王者に昇格させ、正規王座が空位になるシステムがないことも、レックス陣営にはアンラッキーだった。

 DEF社のジェイ・ラウ代表は、当時をこう振り返る。

「いくら挑戦権があってもレックスが井上と戦うには、まだ別の試合で段階を踏む必要が大いにあった。それに一つ誤解されているのは、レックスはたとえ相手が井上でも、ためらうことなく立ち向かう勇敢なハートの持ち主なんだ。マニアたちが思っているような臆病者ではない。一般の香港人が思っているほど強くもないけどね」

 レックスは昨年10月7日、元WBA世界スーパーフライ級王者・河野公平(ワタナベ)との試合で勝ちこそしたものの、左目の上を負傷。長期休養を発表して以降、復帰の様子を示していない。“目の上のたんこぶ”といえば、井上が王座を返上して階級を上げた絶好のチャンスであるのは皮肉な話だが、18年5月の時点で、レックスのWBO世界ランクは5位まで降下している。

看板選手不在でも香港ボクシングは死せず

7月のボクシング興行を発表する(左から)ジェイDEF代表、鈴木、レイモンド 【善理俊哉】

 レックス・ブームの合間に、DEF社はボクシング文化の土壌形成を怠っていたわけではない。運営するジムでは土日を使ってアマチュアジムやキックボクシングジムの選手を交えたスパーリング大会を熱心に開き、レイモンド・プーン、サンディ・ラム(ともに香港)といった後継者を育てる傍ら、日本のモデルボクサー、後藤あゆみ(元OPBF東洋太平洋王者)など、外国人選手のプロモーションにも挑んだ。

「ウチのジムには、今、ネパール人のプロボクサーがいるんだけど、コイツが日本のファンにもきっと喜んでもらえるハードパンチャーなんだ。将来、香港で興行ができなくなったとしても、私は日本を拠点に育ててみたい」(ジェイ代表)

 7月14日、同社が久々に行う香港興行の発表会見では、試合経験こそ浅いがチャーミングなルックスにアイドル性を感じさせる鈴木なな子(ワタナベ)を招き、セミファイナルに抜擢(ばってき)し、ムエタイ戦士と戦わせると発表した。

「今の香港ではムエタイやボクシングのジムにシェイプアップ目的の女性が通うようになった。彼女たちのリーダーになるような女性がいてほしいとずっと思っているんだ。鈴木もその立役者になることを期待している」(同代表)

 ちなみに対戦相手のライス・ウォン(香港)が通っているのはDEFボクシングジム。鈴木をプロモートする一方で、ライスを強化するのは、矛盾した活動に見えるかもしれないが、同代表は「試合が面白くさえなれば、どちらが勝っても構わない。それが勝負師であり、興行師の心意気だ」と揺るぎなかった。

 会場のサウソーン・スタジアムに用意される客席は1800。コンベンションセンターを借りる壮大イベントは過去となった。それでも、一度は花開いたプロボクシング文化は、関係者たちの執念によって守られようとしている。次のブームにこそ、“モンスター”に勝てる選手を用意していたいというロマンを胸に。
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著者プロフィール

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある

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