悲願を果たしたトヨタの24時間 ル・マン初Vで挑戦は新たなステージへ

田口浩次

ル・マン24時間レースを初制覇したトヨタ8号車のアロンソ、中嶋、ブエミ(左から) 【Getty Images】

 世界三大レースのひとつ、第86回ル・マン24時間レースで、ついに日本車と日本人ドライバーによる総合優勝が果たされた。その金字塔を打ち立てたのは中嶋一貴。2016年、優勝を目前にした残り3分でマシントラブルによるリタイアという、ル・マンの難しさを誰よりも実感する男が、すぐ後ろにトヨタ7号車、さらに2台のフェラーリ、そしてLMP2クラスのマシンたちを従えて、ついにトップでチェッカーフラッグを受けた。

周囲を驚かせたアロンソの走り

 結果だけ見れば、トヨタのワンツーフィニッシュ。総合1位の8号車は388周、2位の7号車は386周。3位のレベリオン・レーシングは376周で、トップからは12周遅れ。これだけを見れば、トヨタの圧勝であり、ポルシェやアウディが撤退した現在では、その価値はかつてほど高くない、という人もいるかもしれない。しかし、それは違う。やはり24時間レースは厳しい戦いであり、それに打ち勝ったからこそ、彼らは表彰台のトップに立った。それは賞賛されるべきことだ。

 実際、レースは見た目ほど楽なものではなかった。予選ワンツーから、順調にスタートしたトヨタ。7号車のドライバーは、マイク・コンウェイ、ホセ・マリア・ロペス、小林可夢偉の順。8号車は、セバスチャン・ブエミ、フェルナンド・アロンソ、中嶋の順だった。レース序盤はとくに問題もなく、レースが進行していく。

 最初に動いたのは、各ドライバーが最初の役割を全員終えたところ。中嶋から交代したセバスチャン・ブエミが、事故によるコース上の処理があるため、スロー走行を義務付けられた区間でスピード違反してしまい、1分間のピットストップペナルティを受けてしまった。これにより、7号車との差は10時間が経過した時点で2分以上に開いてしまった。24時間レースなので、2分の差は非常に小さいと感じるが、戦っている相手は同じトヨタTS050ハイブリッド。同じように走れば当然タイム差はなく、このまま7号車有利の展開でレースは進んで行くものと思われた。

 しかし、ここで周囲を驚かせたのは、2度のF1世界王者に輝いたアロンソの走りだった。初めてのル・マン。初めての夜間走行。そんななかで、7号車を上回るラップタイムを連発する。2分以上あった差は、12時間が経過した時点でじつに1分15秒にまで縮まった。

 アロンソの走りに触発されたのか、交代した中嶋の走りもさえにさえていた。まるで獲物を狩る肉食動物のように、7号車との差を一気に縮め、なんと最大2分以上あった差をひっくり返し、レース開始16時間後にはトップに再び返り咲き、逆に34秒ものリードを築いていた。

トヨタにとって「強さを見せる」とは?

 このように2台は激しくトップを競っていたが、その裏では、なかなかマシンバランスがまとまらず、ドライバーたちは我慢のドライビングを強いられていた。この我慢比べに勝ったほうが、レースにも勝つ。そう思わせるものがあった。だが、その一方で、チームには危惧も残っていた。というのも、もし2台が争い、接触などで同時にリタイアする可能性は皆無ではない。特にマシン差がない場合は、お互いの手の内を知り尽くしている分、ギリギリの争いをすることは明らかだ。そこで、チームは、ドライバーたちに対して、今回のレースはトヨタの強さを見せることが大切だと説いた。強さを見せるとは何か?

 TMG社長であり現場責任者の村田久武氏は、「強さを見せるとは、ワンツーでフィニッシュすることだと全員に言いました。アウディもポルシェも、彼らはワンツー表彰台独占を成し遂げてきた。僕たちが目指すべきは1台優勝で1台追いつかないというものではない。2台がそろって速さと強さを見せることです」と答えた。

 その言葉通り、その後も淡々と走行ラップを重ねていく2台のマシン。しかし実はレース中にトラブルの要因をいくつか抱えていた。ただ、村田氏は、用意していた策を使うことなく、未然に防げたと説明。機械的なトラブルが顔をのぞかせるときもあるが、それはこれまでの対策で表面化することなく走行できたことを明かした。

浮足立つレース終盤

 ところが、機械的ではない部分で影が近づいていた。それは初優勝という心理的プレッシャーかもしれない。トヨタチームのクルーたちは歴戦の経験者ばかり。そんなプレッシャーなど無縁のように見えるが、そうではなかった。彼らにとっても、16年のゴール直前でのストップはトラウマであり、夜が明け、残り4時間を切って、いよいよ勝利が見えてきたとき、見えない緊張感がクルーたちを襲っていた。

 最初におかしくなったのは、8号車のクルーたち。レースを2時間半ほど残した日曜の12時36分過ぎ、アロンソから交代をするべく、最終ドライバーの中嶋がガレージからピットレーンに出てきた。そして12時37分、8号車がピットイン。ドライバー交代を終え、クルーがロリポップ(マシン正面に出される指示標識)を上に挙げて、スタートを合図する。しかし、マシンは動かない! というのも、マシンがジャッキアップされたままなのに、クルーは誰も気づかず、ロリポップを上げてしまったのだ。その場で無情に空転するタイヤ。すぐにジャッキを下ろし、ほぼタイムロスすることなく、中嶋は最後の担当に飛び出したが、誰もがこんな単純ミスをするのかと目を疑った。そして、これこそが初優勝へのプレッシャーであり、クルーが浮足立っていた証拠だったのかもしれない。

 そして次に驚きのシーンが登場する。中嶋同様、7号車の最終ドライバーになった可夢偉のマシンが突然のスローダウン。マシンは1速最高速度80キロで固定されたまま、長いル・マンの直線を走行していた。いったい何があったのか? 16年の悪夢再来か? 誰もがそう思った。チームクルーたちもそう思ったという。だが、ミュルザンヌ・コーナーを越えて、インディアナポリス・コーナーに向かう途中、突然マシンの速度が復活。何事もなかったかのように、7号車は走り出し、その後、マシンをピットインさせた。特に問題はないと判断され再びコースに戻ったが、この時点で勝負はついた。勝利の女神は8号車に微笑み、7号車には微笑まなかった。

 なぜ可夢偉のマシンはスロー走行したのか? レース後にその原因が明かされた。じつは7号車は燃料が足りず、マシンを守るためのセーフティー機能が働いたのが原因だった。果たして、ピットインサインのミスか、見落としか、はたまた給油時の燃料計算のミスだったのか、原因は明らかになっていない。だが、その前に起きた、8号車の小さなピットイントラブルを考えれば、7号車のクルーたちもまた、もしかすれば可夢偉も、自覚していない緊張だったり、浮足立つ心情に捕らわれていたのだろうか? こればかりは、誰にもわからない。ただ、7号車には致命的なミスがあり、勝利の女神は去っていった。

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