繰り返されるロシアフーリガンによる暴動  W杯の現地観戦に危険はあるか?

服部倫卓

世間を騒がせるロシア・フーリガンの暴動

ロコモティフ・モスクワのゴール裏。「ユナイテッド・サウス」、「バイキングズ」、「ストロング・レイルズ」といったチーム名の横断幕が見られる 【撮影:服部倫卓】

 近年、ロシアのサッカー・フーリガンの引き起こす暴力沙汰が、たびたび世間を騒がせている。

 2012年の欧州選手権(ユーロ)ポーランド・ウクライナ大会で、地元ポーランドとロシアが対戦した際、試合前に両国のサポーターが衝突し、逮捕者183人、負傷者15人が出た。16年のフランス大会では、マルセイユでのロシアvs.イングランドによる試合の際、観客席で両国サポーターが乱闘騒ぎを起こした。さらに、試合後に市街で大々的な衝突が発生し、イングランド側の1人が亡くなった。18年2月には、ヨーロッパリーグでスペインに乗り込んだスパルタク・モスクワのサポーターが現地サポーターと衝突し、警官1人が命を落とした。

 16年のマルセイユ騒乱の衝撃は大きく、『BBC』は17年に「Russian Hooligans: Sports Terrorism Documentary」という特別番組を放送している。その中で、ロシア人フーリガンの1人が、「18年のワールドカップ(W杯)では、われわれは暴力のフェスティバルでお迎えする」と警告するシーンがあり、イングランド側は震え上がった。これ以降、英国のマスコミでは、ロシアからW杯開催権を剥奪すべきだとする論調が高まった(むろん、18年のW杯招致でロシアに敗れた恨みもあるだろう)。

 日本のサッカーファンも、「現地に観戦に行って、危険はないのだろうか?」と、懸念している方々が多いのではないか。ただ、結論から言えば、ほとんど心配は要らないというのが筆者の見解である。

ロシアでフーリガン現象が本格化するまで

本田圭佑が在籍していた当時のCSKAモスクワのゴール裏の風景。発炎筒のせいで、やや視界が悪い 【撮影:服部倫卓】

 ロシアでフーリガン現象が本格化したのは、ソ連崩壊後の1990年代のことだった。経済難が続いたこの時期、サッカーのオールドファンは生活するのに精いっぱいで、スタジアムを去っていった。残された若者たちは、西欧のサポーター文化を模倣し、またイングランドのフーリガン作家ドゥージー・ブリムソンの著作を読み漁って、ロシア特有のサブカルチャーを培っていった。

 フーリガン現象はロシア語で「オーカラフットボール」と呼ばれており、これは「サッカーにまつわるもの」といった意味である。それが初めて耳目を集めたのが、95年のことだった。モスクワ随一の繁華街であるアルバート通りで、CSKAモスクワとスパルタク・モスクワのサポーターによる衝突が起き、この“ダービーマッチ”ではCSKA側が勝利したと伝えられている。

 その後、サポーターによる集団的な喧嘩(けんか)が日常化し自己目的化するにつれ、それを戦う枠組みとなるフーリガングループが誕生していった。ロシア語では「フィルマ」と言うが、ここでは「チーム」と訳しておこう。ちなみに、1クラブで1チームという対応関係ではなく、ビッグクラブでは複数のチームがあるのが普通である。CSKAであればヤロスラフカ、ユーゲント。スパルタクであればユニオン、シュコーラ、グラディエイターズ。ゼニトであればミュージックホール、スネークなどが有名どころである。

フーリガンは「PRIDE」のような格闘技に!?

肉体美を誇示するディナモ・モスクワのサポーター。いまやフーリガンは「PRIDE」のような様相に 【撮影:服部倫卓】

 大きな転機となったのが、10年にスパルタク・モスクワのサポーター1名が北カフカス出身のムスリム(イスラム教徒)数名に殺害された事件である。警察の捜査への不信もあって、モスクワ中心部の広場にサポーターを中心とする数万人の若者が繰り出し、警官隊と衝突した。これは新生ロシアで最大規模の民衆暴動であり、また民族対立がロシアの国家体制を揺るがしかねない状況となった。

 危機感を募らせた政権側は、これ以降、フーリガン対策に本腰を入れることになる。ウラジーミル・プーチン首相(当時)は主立ったサポーター団体の幹部を招集し、不文律を取り交わした。その要点は、次のようなものであったと考えられている。

「諸君が、若い情熱の発露として、戦い合うことは黙認しよう。人目に触れない森や野原で戦うのであれば、われわれは問題視しない。ただし、それをスタジアムや街中で行ってはならない。ましてや、体制に歯向かうようなことは許さない」

 これをきっかけに、ロシアのサッカー・フーリガニズムは、集団格闘技のような様相を強めていった。今やロシアのフーリガンたちは、酒など飲まず、日頃からストイックに自らの体を鍛え上げ、戦いの日に備えている。そして、日時・場所・人数をあらかじめ申し合わせ、決戦の場に赴く。チーム同士の対戦は、総合格闘技イベントの「PRIDE」を集団でやっているような雰囲気だ。戦いが終われば、お互いにハグをし、「良い戦いだったな。また会おう」などと言葉を交わして別れていくのである。ある種、サッカーのパラレルワールドのような戦いが、人知れず繰り広げられているのである。

 16年のマルセイユ騒乱の動画を見てみると、ロシアのフーリガンの特質が良く分かる。イングランド側が、ビール瓶を投げたり、椅子を振り回したりして暴れているのに対し、ロシア側は格闘技のファイティングポーズをとり、あくまでも素手で敵に立ち向かう姿勢を見せている。これぞロシアのフーリガン・アスリートの美学である。

 いずれにしても、ロシア国内に関して言えば、フーリガニズムは局所化され、森や野原に追いやられた。その結果、ロシアのサッカースタジアムは健全化され、最近では女性や家族連れも増えている。

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著者プロフィール

1964年静岡市生まれ。一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所副所長。ロシア・ウクライナの政治経済事情研究の一環として、現地のサッカー事情にも関心を寄せる。ブログは、http://hattorimichitaka.blog.jp。

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