堂安律、充実のオランダ挑戦1年目 最終戦で感じた成長と周囲への感謝

中田徹

最初の2、3カ月は「自分が悪い」と言い聞かせた

試合に出られない時期でも自暴自棄になることなく、しっかりと自分を見つめ続けた 【Getty Images】

 入団当初は「舐められている」と感じ、練習中に頭をはたかれて味方の胸ぐらをつかんだこともあったという。

「わざと強気で変なキャラを演じるのもよくない。もし自分のキャラがおとなしいのなら、おとなしいなりのキャラで何とかやっていけることはあるだろうし、キャラを作るのはダメなんだろうなと思います。俺はありのままの感情を隠しもしませんでしたし、思ったことは伝えた。もともとの性格がこんなふうで良かったなと思います」
 
 だけれど、ピッチの外では今もいじられキャラ。こうして日本人記者たちに堂安が話をしていても、DFのヨエル・ファン・ニーフがスラングを飛ばしていじってくる。

「天狗(てんぐ)になったらダメだから、私生活では俺が先頭でいじられてます。今日のミーティングでも、みんなに言われました。監督もミーティング中にいじってきます。(チームメートとは)いい関係です」

 昨年夏のフローニンゲン入団記者会見で「僕がフローニンゲンをチャンピオンズリーグに連れて行きます」と宣言したように、堂安は「このクラブで活躍してみせる」という意気込みでオランダにやって来たのだが、その一方で、「うまくいかなくても、くじけずに頑張ろう」という思いもしっかり持っていた。事実、前半戦は好不調の波が大きく、試合に出られない時期もあった。

「こっちに来て、うまくいっていない時に、正直『周りが下手だから』という言い訳をしたこともありました。だけど、周りを見ると弱いチーム、下位のチームでも輝いている選手は輝いていた。まずはここで結果を残さないと、トップチームでは何もできません。

 だから、最初の2、3カ月、試合に出れない時には、『自分が悪い』と自分にすごく言い聞かせました。その最初の2、3ヶ月でメンタル的にもすごく成長できました。俺、成長しましたよ。技術は分かりませんが、メンタルは!」

周囲の良きアドバイザーと聞き入れる素直さ

U−20代表を率いていた内山氏から電話があったと堂安。周囲のアドバイスを聞き入れる素直さを持っている 【Getty Images】

 1シーズン、ずっと堂安の言葉を聞きながら、「彼の周囲には何人かの良きアドバイザーがいて、堂安はそれを取り入れる素直さがあるんだろうな」と感じていた。

 例えば、PSV戦前日には、U−20ワールドカップで日本代表を率いた内山篤氏が堂安に連絡してきたのだという。

「昨日の夜、内山さんから連絡があって『ボールを持ちすぎるな。テレビで見ているから』と言ってもらっていたので、今日はシンプルさを意識して、ファイナルサードの最後の仕掛けのところは積極的に行こうと思っていました」

 フローニンゲン移籍を決めたのも、代理人のアドバイスをしっかり聞いたから。

「フローニンゲンを勧めてくれたのは代理人でした。もう少し待てば、ブンデスリーガのクラブからオファーが来るかもしれないという状況で、代理人が『そこで無理してドイツでやるより、試合に出られるところでやった方がいい』と教えてくれました。代理人に限らず、この1年間、いろいろな人に感謝しました」

 フローニンゲンの行事が終わればバルセロナでのオフが待っている。「パエリアを食い倒してやる!」。堂安、充実のオランダ挑戦1年目だった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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