洞ヶ峠の結論・クリンチャー 「競馬巴投げ!第166回」1万円馬券勝負
神経に活力を与える“洞草(ほらがぐさ)”
[写真3]シホウ 【写真:乗峯栄一】
それに呼応し、順慶は男山まで一旦来たのである。男山まで一旦来て、淀川の向こうに秀吉軍がいるのを見ている。そして「だけんど橋がネエでねえか」と言ったのである。「ここからじゃ、鉄砲撃ったって、弓引いたって届きもなんともしやしねえ」と溜息をついた。平安末期以後、水運にばかり頼って“山崎太郎”をないがしろにしたツケが、光秀に不幸をもたらし、秀吉に幸いをもたらしたのである。
順慶は一旦南下して、男山も天王山も淀の低湿地も広大な巨椋池(おぐらいけ・今はすべて干拓耕地になっていて、淀競馬場の向うに京滋バイパスの高速道路が見える)もズラッと見渡せる洞ヶ峠で熟慮を重ねる。
もし光秀に加勢するとすれば、一旦、この洞ヶ峠の下に降り、そこから巨椋池の出口、淀あたりの低湿地を全軍ビチョビチョになりながら北上して、いまの長岡京市にある勝竜寺城あたりで光秀に合流する以外にない。しかしそれでは秀吉軍の側面を突くことにはならない。「うーん、大変だなあ」と、京都南部低湿地をすべて見渡せる洞ヶ峠の床机に座って順慶は溜息をつく。
そのとき、順慶は横に生えていた草を一枚手に取り、口に含む。この洞ヶ峠に生息する“洞草(ほらがぐさ)”というヨモギ草の一種は神経に活力を与えることを、順慶は独学の漢方学で知っていた。
シュヴァルグランはまた“一歩届かない”病?
[写真4]カレンミロティック 【写真:乗峯栄一】
「殿、いかがなされました?」とむさ苦しい武者の一人が言う。
「誰? お前?」と順慶は言う。
「殿、何を仰しゃられます、拙者、筆頭家老の島清興(きよおき)ではございませぬか」
「うん? 誰、それ?」
こういう症状を精神医学的にはゲシュタルト崩壊というらしい。知覚散逸というやつである。洞草という葉っぱのせいであるか、あるいは順慶の血脈に元々そういう精神性があったのかもしれない。「自分は筒井順慶の子孫ではないか」と悩み、色々調べた作家・筒井康隆は「わが血筋には伝統的にゲシュタルト崩壊の資質がある」と中編小説『筒井順慶』の中で言っている。
とにかく、それから順慶は3日にわたって、じいっと洞ヶ峠から京都南部の低湿地(いまの淀競馬場あたり)を眺めて過ごした。
「この巨椋池という湖を全部干し上げて田畑にし、宇治川と桂川の間の土地には競馬場でも作りたいのう、のう、“島なんとか”というむさ苦しい侍よ」と順慶は島清興に向けてぼんやり呟く。「洞ヶ峠で決め込んだらきっといい馬券になるぞ」とも順慶は呟いた。
ゲシュタルト崩壊を起こす薬といえば、猛毒のようだが、しかし使い方によっては「AかBか」を強力に迫られて自己崩壊に至る人間を救う薬ともなる。
「シュヴァルグランにはまた“一歩届かない”病が出るんじゃないだろうか、出るか、出ないか、どっちだ」と、そういう切迫した問いに陥ったときは、洞ヶ峠まで行って(淀からすぐだから)、薬草を一枚口にするといい。