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トップランナーであり続けるために

“究極の世界”で学んだ目標を持つ大切さ
三浦雄一郎(登山)×山本光宏(トライアスロン)

提供:明治

極限を知る三浦雄一郎さん(左)と山本光宏さんが、夢へ向かうエネルギーの源について語り合った
極限を知る三浦雄一郎さん(左)と山本光宏さんが、夢へ向かうエネルギーの源について語り合った【坂本清】

 トップアスリートとしてそれぞれの舞台で第一線を走り続ける人たちがいる。厳しい世界でなぜ彼らは光を放ち続けられるのか。スポーツナビでは、そんなアスリートたちの声を対談連載「トップランナーであり続けるために」で紹介する。


 第5回は、2013年に世界最高齢の80歳にして自身3度目となるエベレスト登頂を成功させた三浦雄一郎さんと、日本のトライアスロン黎明期に、初のプロトライアスリートの一人として活躍した山本光宏さん。それぞれの体験を通して目標を実現するために大切なこと、そして夢へ向かうエネルギーの源について語っていただいた。

エベレスト登頂のきっかけは“健康づくり”

――まずは三浦さん、エベレスト登頂のきっかけを教えてください。世界七大陸最高峰からのスキー滑降という偉業を成し遂げた後、再び新たな挑戦を決めた理由は?


三浦:57歳で七大陸最高峰全てからのスキー滑降を終えて、目標がなくなってしまった僕は、不摂生な生活を続けてあっという間にメタボになりまして。狭心症の発作を起こしたり糖尿病があったりして、血圧も190ぐらいになってしまった。ちょうどその頃、父の三浦敬三が99歳でモンブランの氷河を滑ったんですね。それを見て「親父がモンブランなら、俺はエベレストを登ってやる!」と思ったんです。


山本:お父さまの影響が大きかったんですね。それにしても、メタボで狭心症、という状態からエベレストとは、飛躍がすごい(笑)。


三浦:これは自分の健康づくりでもあったんですよ。


山本:健康のためにエベレストを登ろうと?(笑)


三浦:そうそう、健康づくりのついでにね(笑)。まあ、エベレストに関しては、37歳の時にサウスコルという7900メートルの地点(※編注:エベレスト登山で最終キャンプ地として使われる鞍部)からスキー滑降をしていまして、その数日後に植村直己らが日本人で初めてエベレスト登頂に成功したんです。そういう意味でも、一度登ってみたかった。今決心しないと一生できないぞ、と思ったのが65歳の時でした。

スキーヤーだった父・敬三さんの姿を見て、三浦さんは65歳にしてエベレスト登頂を決意
スキーヤーだった父・敬三さんの姿を見て、三浦さんは65歳にしてエベレスト登頂を決意【坂本清】

――山本さんは、日本のトライアスロンのパイオニア的存在ですが、当時まだ知る人も多くなかったこの競技をやろうと考えたきっかけは?


山本:高校3年の時に、日本初のトライアスロン大会である「皆生トライアスロン」をテレビで見たのがきっかけです。トライアスロンは敗者がいないスポーツと言われていて、優勝した人だけでなく、スイム・バイク・ランの3種目をやり遂げて完走したすべての参加者が勝者だと。僕は高校時代にアメリカンフットボールをやっていて、全国優勝するような強いチームだったのですが、ミスをするとチームに迷惑を掛けるという気持ちが常にあった。だから、自分一人ですべてやり遂げる自己責任型のスポーツというものをやってみたくなったんです。


三浦:距離はどれくらい?


山本:いわゆる「ロング」と言われる距離は、水泳3.8キロ、自転車180キロ、そして最後にフルマラソン。選手はきつそうな表情で一生懸命にチャレンジしているわけですけれど、最後にフィニッシュした時の表情は、演技ではなかなかできないというかね。苦しいことをやり抜いた時にしかこういう到達感のある顔はできないんだなと思って、興味が湧いたんです。

二人の人生が変わった瞬間

日本トライアスロン界のパイオニアである山本さん。プロのトライアスリートとなったことがターニングポイントになったと話す
日本トライアスロン界のパイオニアである山本さん。プロのトライアスリートとなったことがターニングポイントになったと話す【坂本清】

――お二人がチャレンジされてきた中で一番印象に残っている場面は?


三浦:いろいろありますけどね。南極で雪崩に遭って生き延びたり、エベレストで標高8000メートルから時速160キロで滑降した時、パラシュートがもつれて転倒して氷の壁を落ちていったり。落ちていく間、30秒ぐらいあったのですが、その間に頭に浮かんだのは「この次の生まれ変わりは何になるんだろう?」ということでした。


山本:ほぼ臨死体験ですね。そういうものを経験してしまうと、怖いものがなくなるって本当ですか?


三浦:そうでもないですよ(笑)。何回も危険な目に遭いましたが、生き延びた。運が良かったとしか言いようがない助かり方がいくつもありました。


山本:印象に残っているというか、人生が変わった瞬間という意味では、僕はプロトライアスリートになったことですね。大学2年でトライアスロンを始めて、その後就職するか、競技を続けるかという時、1985年にちょうど長嶋茂雄さんが日本トライアスロン連盟の会長に就任されました。そのおかげで日本初のエリートチームができて、そこに入るきっかけをいただいた。日本のトライアスロンの歴史の始まりから関わってこられたというのは、僕にとっては一番大きいことです。


三浦:今の僕はアンチエイジングへの挑戦がテーマ。エベレストの頂上は空気が通常の3分1しかなく、70歳以上加齢すると言われているんです。つまり、70歳で登ると140歳に、80歳なら150歳になる。人類の最高齢をはるかに超える年齢です。それで登って死なないで帰ってくることが僕の挑戦。やってみたら80歳でも生きて帰ってこられたわけですけどね。

東海林美佳
東海林美佳
ランニングとトライアスロンにハマってしまったフリーランスエディター。一般女性誌やライフスタイル誌、スポーツ誌など幅広いジャンルを手がける。アイアンマンハワイをはじめ、海外レース、海外選手の取材多数。

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