“兵士”酒井がマルセイユを酔わせた夜 ELのバースデーゴールに街中が大熱狂

木村かや子

マルセイユを恍惚とさせたバースデーゴール

酒井が28歳の誕生日に決めたマルセイユ初ゴールは、町中を熱狂させた 【Getty Images】

 酒井宏樹の放った低い軌道のシュートがゴールに吸い込まれた瞬間、スタッド・ベロドロームの約6万2000人の観客と、チームメートたち、テレビで見ていたさらに何万というマルセイユファンたちは、トランス状態に陥った。現地時間4月12日、マルセイユのホームで行われたヨーロッパリーグ(EL)準々決勝、ライプツィヒとの第2戦で、酒井は自ら決めたマルセイユでの初ゴールによって、人々を恍惚(こうこつ)の世界に送り込んだのである。

 それは、山あり谷ありだったこの激戦の、あまりに美しいフィナーレだった。以来、南仏には「EL準々決勝で最後のゴールを決めたサカイ」について、知らない者はいないと言ってもいいほどだ。

 5−2とマルセイユに3点のリードを与えたこのゴールは、単なるダメ押し点ではなかった。ライプツィヒにアウェーでの第1戦で0−1と敗れていたマルセイユがこのラウンドを突破するためには、この日、2点差以上での勝利が必要だった。ところがマルセイユは開始2分に、絶対に避けたかったアウェーゴールを相手に許すという、最悪のスタートを切る。幸いその4分後に1点を返し、前半終了前に3−1と2点差をつけたものの、後半10分に再び失点して3−2に。マルセイユは後半15分にディミトリー・パイエのゴールで4−2としたが、戦いは最後まで激しく、苦しかった。

 4−2のまま逃げ切れば勝つが、4−3とされれば敗退する。そんな重圧の中で、もともと守備がそう堅固ではないマルセイユは、終盤に攻め込まれ、観客たちは何度も冷や汗をぬぐっていた。ホームのファンにとって息もつけない場面が続く中、アディショナルタイムに相手のCKとなり、最後の得点機に懸けたライプツィヒのGKペテル・グラチがマルセイユのゴール前まで上がってくる。ライプツィヒ最後のCKからのクロスが、マルセイユのMFモーガン・サンソンの顔に当たり、跳ね返ったボールをFWコンスタンティノス・ミトログルが前方にパス。このロビングボールを受けたMFマキシム・ロペスが右サイドを上がった酒井にパスし、酒井は一瞬足元でボールをコントロールしてから、すぐに無人のゴールに向けて渾身のロングシュートを放った。

 酒井がボールを受けてからシュートするまでの数秒間に、どれだけの人々が「蹴るんだ」「行け!」とわめいたか分からない。テレビの解説者までが、酒井の蹴った低い軌道のシュートが、戻ってきていた2人のDFを回避してゴールに吸い込まれる過程で、「ウイー! ウイー!(いいぞ、そうだ)」と半狂乱で叫んでいた。

 ボールが実際にゴールに入るのを見届けずに、両手を広げてベンチの方に走った酒井の上に、チームメートたちが次々と身を投げる。後で知ったことだが、マルセイユの選手としてまだ得点したことのなかった酒井が、よりによって自分の誕生日にゴールしたということで、試合後のロッカールームでは、酒井のゴールシーンの映像をチームの皆ではやし立てながら見直し、そこでまた酒井を押しつぶすという、誕生日祝いを兼ねた大騒ぎが行われた。

酒井は喜びを控えめに表現

「皆のように才能がない分、絶対に労力を惜しまず、常に100%の力をつぎ込む」「外国人枠をとっているのだから、人一倍働かなくちゃ」が酒井の口癖だ。そして酒井のチームへの献身と、いつも全力を尽くす姿勢の価値は、月日が経つにつれ、チームメートからだけでなく、マルセイユファンたちにも、しっかり認識されるようになっていた。それもあって、フランスメディアは「いつも全力を尽くし、縁の下の力持ちのプレーで陰からチームを支えている選手だから、酒井はときにこんなゴールで報われるに値する」と口々に言ったのである。

 もっとも当の本人は、想像したほど喜びを露わにしていなかった。おそらく、あえて自重していたのだ。

 試合後、不必要に舞い上がることを好まないルディ・ガルシア監督さえ、「これはキャリアに起こりうる希少な瞬間だ。チームとしてのこんな感動を経験するために、われわれはこの仕事をやっている」と言った。またミックスゾーンでは、ルーカス・オカンポスが「こんな夜を経験したのは生まれて初めてだ」と夢うつつの様子で話し、ロペスが「酒井のゴールが決まったとき、もう少しで泣きそうだった」と胸を弾ませた。

 ところが酒井はその横で、「早くもう1点決めてくれと思っていたけれど、まさか自分が決めるとは思わなかった。でもまあ、何よりホームファンの期待に応え、次に進むことができたというのは、素晴らしいことです」と、抑えた口調で話した。誕生日ゴールについては、「よかったです。でも誕生日に試合があったのは初めてなので、少し嫌でした。皆に何か言われたり、余計な要素が入って集中できなくなる気がしたので……。だからより集中して入るよう心掛けました」と、今や彼の呼び名のひとつとなった、“良き兵士”そのものの発言。ゴールについては、「まあキーパーがいなかったので」と話し、あえて周囲の熱を鎮めようとした。

一躍、「時の人」となった酒井

酒井らの気骨のあるプレーが、ファンの心をしびれさせた 【Getty Images】

 しかしこの騒ぎは、一夜どころか、3日過ぎても収まらなかった。サッカーを追っていない者たちまでが、酒井の最後のゴールについて話し、サポーターたちは早々にEL決勝行きを夢見て、街中が熱に浮かされていた。それは図らずも、ファンが何年にもわたり、ビデオで繰り替えし見直すような、マルセイユのクラブ史に跡を残す試合となっていたのだ。

 そもそも、シーズン序盤のマルセイユは、監督、ファン共に、ELを重視しない傾向があった。監督はELでローテーションを使い、スタジアムでは閑古鳥が鳴いていたのだ。それを鑑みると意外な展開だったが、EL優勝経験のあるアディル・ラミを例外に選手たちもファンたちも、実際にベスト4まで来てみて初めて気付いたのだろう。マルセイユが欧州のカップ戦でベスト4に進出したのは、14年ぶりのことだった。 

 ライプツィヒはバルセロナのような世界的強豪ではないかもしれないが、マルセイユも、数人の優秀な選手はいるものの、スターで溢れたチームではない。何より国内の他のトップクラブと比べても、交代要員の層が極端に薄い。そのため、少ない選手を駆使し、主力が疲労のためけがをする、という弊害が繰り返し起きていた。酒井が1カ月にわたってジョーダン・アマビの不在をしのぐため左サイドバック(SB)をこなしたのもそのためだ。

 正GKのステーブ・マンダンダの故障だけでも痛かったが、EL準々決勝第1戦の直前には、レギュラーセンターバック(CB)のラミとローランド・フォンセカがそろって故障。CBのバックアップがいないため、MFのルイス・グスタボが下がり、下部組織から上がったばかりの18歳、ブバカール・カマラと組んでCBを務めた。付け焼刃のCBを助けるために、酒井が3バックの右に入るという手段が採られた。つまりこれは、作戦というより、人員がいないための苦肉の策。シーズン終盤のマルセイユは、3日おきの連戦による疲労と、おそらく疲労が誘発した故障で、フィジカル的にボロボロだった。

 そんな満身創痍(そうい)の戦士たちが、マルセイユの伝統である「根性」を武器に、ELとはいえ欧州の舞台でベスト4に至った、という図式は、気骨のあるプレーを愛するファンの心をしびれさせた。普段は私情をあまりはさまず、ほぼ客観的な採点をする『レキップ』紙が、パイエに9、酒井を初めとする多くの選手に8という滅多に出さない高得点をつけたことが、この試合がフランスにもたらした振動を表している。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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