“兵士”酒井がマルセイユを酔わせた夜 ELのバースデーゴールに街中が大熱狂

木村かや子

酒井「選手の評価は1試合で変わる」

酒井はマルセイユで「兵士」と呼ばれている 【写真は共同】

 そしてその根性の勝利のシンボルとなったのが、「普段は控えめな兵士」、酒井のゴールだったのである。試合翌々日の『レキップ』紙は、「ヒロキがゴールしたとき、もう少しで泣きそうだった」と題したロペスのインタビューを見開きで大々的に掲載。ゴール後、まだプレーが続いていたにも関わらず、「感動で涙がこぼれそうになった」と切々と語ったロペスは、かつてはスタッド・ベロドロームでボールボーイをしていた、下部組織出身の生え抜きの20歳だ。

 さらにその翌日となる4月15日、トロワとのリーグ戦当日の『レキップ』紙は、今度は「酒井、昇った太陽」というタイトルの記事で、変わらず謙虚な酒井が、マルセイユにとってどれほど必須の存在となったのかを説明。「ヒロキはマルセイユにとって金鉱だ。常に、彼のピッチ内外でのハードワークを頼みにすることができる。彼は単なるいじられ役でなく、今やチームを結びつける存在になった」という関係者の言葉を引用した。

 こうしてスタジアムで彼の名を呼ぶ声は大きくなり、街中が、最低1週間はサカイとゴールの話をし続けた。

 酒井本人はこの現象をどう受け取っていたのだろうか? 3−2で辛勝したトロワ戦の後、酒井はこう言っていた。

「皆、実際よりも良く言っているので、気を付けないと。評価が現実より高いのはよくない。ちゃんと自分が感じている評価でないと。しっかり自分でコントロールし、自分なりの評価をしないといけない」

 いかにも、慎重派の酒井らしい言葉だった。実際チャンピオンズリーグ(CL)など欧州の舞台で極度に盛り上がったあと、リーグの平凡な試合で気合いが入らず勝ち点を落とすというのはよくあることだ。

「今回に限っては、切り替えがかなり難しかった。抑えようとしていても皆がちやほやしてくれるので」と言った酒井は、来季のCL行きに必須な3位の座を狙うには、これからシーズン末まで、全試合に勝たなければいけない、という現実を強調(第34節を終えてマルセイユは4位。3位のリヨンとは勝ち点69で並んでいる)。「選手の評価は1試合で変わる。1ゴールくらいでいい気になることなど許されないので、今日に関してはかなり慎重に臨んだ」と話した。そう、まだまだ仕事は山積みなのだ。

最低でも全治3週間の故障。ファンは酒井を激励

ファンは酒井の負傷を悲しみ、激励している 【写真は共同】

 しかし、酒井が1年半をかけて築いたファンとチームからの信頼は、本人が懸念するほど一過性のものではないのかもしれない。

 4月21日、ファンとチームの熱に、冷水をかけるような出来事が起きた。リーグ戦第34節リール戦の前半、酒井は敵陣で相手SBと競りあって転び、左ひざをひねって途中交代した。故障した酒井の表情と、事故時の映像で、けがが軽いものではないことは想像できた。

 しばらく動けずにいた彼が足を引きずってベンチに向かい、交代が告げられると、客席からは大きなサカイ・コールが起こった。

「ちゃんと聞こえていた。あのとき、自分に精神的余裕がなく、応えてあげられなかったけれど、ファンの声はちゃんと聞こえていた」と酒井は言う。

 そして23日、酒井が左ひざの内側側副靱帯の捻挫で、回復には最低でも3週間がかかるだろうという医師の診断が正式に発表された。マルセイユは、酒井のために心を痛めている。23日、あるファンは診断結果を伝えたその記事の下に、こんなふうに書き込んだ。

「元気を出せ兵士! 君は、アトレティコ(・マドリー)に対し勝利のゴールを決めるため、(EL決勝までに)きっと戻ってくる」(編注:マルセイユがEL決勝に進出した場合、対戦相手はアトレティコ・マドリーvs.アーセナルの勝者となる)

「将軍」「キング」など、サッカー選手はいろいろな言葉で描写されるが、酒井の呼び名は「兵士」。そしてはそれは、紛れもない褒め言葉なのだ。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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