【PURE-J】JWP活動停止の裏側とPURE-Jの1年 後楽園大会を前にボリショイが語る

ミカエル・コバタ

4月15日に後楽園ホール大会を控えるPURE−J代表のコマンド・ボリショイにインタビュー 【ミカエル・コバタ】

 全日本女子プロレス崩壊後、“日本最古の女子プロレス団体”として奮闘してきたJWP女子プロレスが、昨年4月2日の「25周年記念興行」を最後に、活動を停止した。残された選手たちは、代表のコマンド・ボリショイを中心として、同8月に「PURE−J」を旗揚げした。そして、来たる4月15日には、東京・後楽園ホールで、今年初のビッグマッチを開催する。

 団体解散から1年の節目を迎えたが、ボリショイにこの1年を振り返ってもらうと共に、活動停止のいきさつ、後楽園大会への意気込みなどを聞いた。

「選手にもっといい環境を」求めリセット

JWPの活動停止から1年。ここまでを振り返ってもらった 【ミカエル・コバタ】

――昨年2月にJWPの活動停止が発表されましたが、どういう経緯があったのでしょうか?

 JWPプロデュースとしての活動は00年に一時休止になったりしました。そんな中、15年前に、「JWPでがんばっていきたい」という選手が5人いました。私、日向あずみ、春山香代子、渡辺えりか、米山香織の5選手です。その際、選手会として、JWPプロデュースと契約を交わして、活動をしていくことになったのです。そのときのメンバーは、日向、春山、渡辺が引退、米山は巣立っていって、私一人になっていました。今の選手に、その当時のことは関係ないわけです。もっといい形がないかと、模索しましたが、JWPプロデュースとの話し合いが、なかなかうまくいかなかったんです。もちろん、JWPで続けられたらベストだったんですけど、それができないなら違った形で挑戦したいと思うようになったんです。ただ、JWPの25周年まではキッチリやろうと決意していました。

――もっといい形とは、具体的には、どういうことでしょうか?

 団体としても、選手たちにも、もっといい環境はないかと……。やはり、団体名称の権利の問題が、どうしてもついて回っていたんです。それで、16年11月に、選手会がもっとよりよい活動ができるように、私が代表となり、「PURE DREAM株式会社」として法人化しました。当時、足立区の六木に道場があったんですが、駅から遠くてアクセスが悪かったんです。だから、私はもっと駅から近い所に引っ越したかったんです。そうすれば、道場マッチをやって、お客さんも集められるし、一般の方に開放して、トレーニングジムとしても使える。新人も獲得しやすい環境になるんです。それで、今の亀有の物件を探したんですが、正直、道場移転もJWPプロデュースには、なかなか理解してもらえませんでした。だから、16年12月に、選手会として移転したんです。

――それで、JWPプロデュースとは契約を更新しなかったんですね?

 そうですね。どうしても、JWPの名の下に続けるとなると、権利関係の問題がつきまとってしまいますので、リセットしたかった。契約は昨年の4月いっぱいまであったんですが、4月2日の25周年記念興行をもって、終了にしてもらいました。それで、JWPは活動を停止し、選手は独立となりました。選手たちは一枚岩で、JWPの意思を継いだ新団体をつくりたかった。ただ、昨年8月11日、後楽園でのPURE−J旗揚げまで、準備期間がありますので、その年の4月16日から、「ドリーム女子プロレス」の名称で活動したんです。

JWP活動停止で「体が軽くなった気がした」

昨年4月2日の解散興行には、尾崎魔弓、ダイナマイト・関西らJWPのOGが集結した 【ミカエル・コバタ】

――JWPの名が消えることになって、ファンの人の反応はどうだったんでしょうか?

 そんなに名称にこだわるファンの人は幸いいなかったですね。この集合体がバラバラにならずにやっていくことで、かえって応援してくれました。新団体名もいっしょに考えてくれたりしたし……。

――昨年4月2日の解散興行には、尾崎魔弓選手、ダイナマイト・関西さん、福岡晶さんら、ほとんどのOGが集結しましたね。

 ちゃんと連絡つくもんなんですね(笑)。私の世代は私が声を掛け、日向の世代は日向が、春山の世代は春山が声を掛けてくれました。私一人の力じゃとても集められなかった。ただ、辞め方が中途半端だった人は、来なかったですね。

――JWPが活動を停止して、どんな心境でしたか?

 25周年記念興行が終わって、体が軽くなった気がしました。「もうJWPじゃないんだ」と、ハッと気が付いたとき、「知らないうちに重いものを背負っていたんだな」と思いましたね。それまではJWPでいることが当たり前でしたから。JWPじゃない、コマンド・ボリショイという1選手になったと思ったら、急に背伸びしたくなるような気持ちになりました。

――ボリショイ選手は、JWP旗揚げメンバーで、唯一最後まで残った選手ですが、途中、JWPから出たいと思ったことはなかったんですか?

 考えたことがなかったんです。私は、いつかJWPで引退して辞めるものだと思ってましたから。

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