メキシコに欠かせないロンドン五輪世代 ベラとドス・サントスの波瀾万丈な経歴

池田敏明

U−17世界選手権で注目を集めた2人

U−17世界選手権でメキシコを初優勝に導いたベラ(左)とドス・サントス(写真は2017年) 【Getty Images】

 2005年のU−17世界選手権(現U−17ワールドカップ/W杯)で、U−17メキシコ代表は初優勝を飾った。決勝でU−17ブラジル代表に3−0と快勝したこのチームで、2人の選手が注目を集めた。1人目は通算5ゴールを挙げて大会得点王に輝いたエースストライカーのカルロス・ベラ。もう1人は華麗なチャンスメークを見せ、チーム総得点の半分をアシストしたジオバニ・ドス・サントス。2人の活躍はメキシコの輝かしい未来を感じさせた。

 それから13年が経ち、彼らは29歳という全盛期と言える年齢でW杯ロシア大会を迎える。順当にいけば2人とも23人のメンバー入りは間違いないだろう。順調に成長しているように見えるが、そのキャリアは紆余(うよ)曲折があった。

アーセナル移籍後、期限付き移籍に出される日々

ベラはアーセナルに引き抜かれたが、その後は期限付き移籍を繰り返した 【Getty Images】

 ベラは05年の大会当時はメキシコリーグのグアダラハラ所属だったが、活躍によって同年11月にプレミアリーグのアーセナルに引き抜かれた。しかし「アーセナル所属」の肩書を得ても選手としての将来が約束されないのは、宮市亮(現ザンクト・パウリ)や浅野拓磨(現シュツットガルト)のキャリアを見れば何となく分かるのではないだろうか。同じような形で引き抜かれる若い選手が大勢いる上、就労ビザの取得に関してもハードルが高いため、トップチームでプレーする道は高い確率で閉ざされてしまう。

 ベラも同じような境遇に立たされ、セルタ、サラマンカ、オサスナとスペインの中堅以下のクラブに立て続けに期限付き移籍に出される日々を送った。08−09シーズンからは晴れてアーセナルのトップチーム所属となったが、十分な出場機会は与えられなかった。10−11シーズン後半はWBAへ、11−12シーズンはレアル・ソシエダに期限付き移籍することになる。そして12年7月、彼はついにアーセナルでのキャリアを諦め、ソシエダに完全移籍。ようやく安定した環境を手に入れ、以降はチームのエース格として活躍していった。

代表から遠ざかるも、復帰後は重要な役割を担う

代表からも遠ざかっていたが、14年に復帰して以降は重要な役割を担っている 【Getty Images】

 07年9月にはA代表デビューを飾ったが、こちらのキャリアも波瀾万丈だった。10年には代表活動中にパーティーを開催し、メキシコサッカー連盟から規律違反を理由に6カ月間の出場停止処分を受ける。その後、一度は復帰を果たしたが、11年夏にはCONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)ゴールドカップへの出場を辞退し、以降3年間にわたって代表への招集を拒み続けてきた。

 メキシコが金メダルを獲得した12年のロンドン五輪も、出場資格を有していながら招集を拒否し、14年のW杯ブラジル大会にも出場していない。ベラ本人は招集拒否の理由を明らかにはしていないが、どうやらサッカー連盟側と何らかの軋轢(あつれき)があったようだ。

 14年11月に代表に復帰して以降は重要な役割を担っており、ロシア大会の北中米カリブ海地区予選でも10試合に出場し、チーム2位タイの3ゴールを挙げた。今のメキシコは相手や戦況によってさまざまなフォーメーションを使い分けており、ベラは左右のウイングやサイドMFを主戦場としている。ただ、彼は今年1月にソシエダを去り、MLS(メジャーリーグサッカー)に新規参入したロサンゼルスFCに移籍している。慣れ親しんだ環境から未知の国の真新しい環境へ、レベルの高いスペインから発展途上の米国へとプレーの場が変わったことが、W杯ロシア大会に向けての彼の立場に影響を及ぼすかもしれない。

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著者プロフィール

大学院でインカ帝国史を研究していたはずが、「師匠」の敷いたレールに果てしない魅力を感じて業界入り。海外サッカー専門誌の編集を務めた後にフリーとなり、ライター、エディター、スペイン語の翻訳&通訳、フォトグラファー、なぜか動物番組のロケ隊と、フィリップ・コクーばりのマルチぶりを発揮する。ジャングル探検と中南米サッカーをこよなく愛する一方、近年は「育成」にも関心を持ち、試行錯誤の日々を続ける

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