「言い訳にした障がい」から東京の主役へ 杉野明子を変えたパラバドとの出会い

久下真以子

フリーアナウンサー久下真以子(左)がパラバドミントン杉野明子の東京パラリンピックへの思いに迫った 【スポーツナビ】

“迷うくらいならやればいい”―――コーチの言葉が飛躍を後押しした。

 昨年11月、世界選手権では自身初の女子ダブルス金メダルを獲得。また、ミックスダブルスで銅、シングルスでベスト8入り。

「3種目での出場は体力的にもハードなので、女子ダブルスに出場するかどうかぎりぎりまで迷っていたんです。でも心の中ではコーチのその言葉で背中を押してもらいたかったのだと思います」

 そう笑顔で語るのは、パラバドミントンの杉野明子だ。世界選手権の優勝によって、女子ダブルスの世界ランキングで1位(2017年12月21日時点)に浮上した杉野。3月にはスペインで開かれる国際大会に出場予定で「ただ勝つだけでなく内容を重要視したい」と話し、さらに階段を上っていく。

 2020年東京パラリンピックまで2年半。杉野の競技にかける思いに迫った。

普通の競技者からトップアスリートへ

昨年11月の世界選手権・女子ダブルスで金メダルに輝き、現在世界ランキング1位の杉野 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 杉野は千葉県出身。午前は所属するヤフーで働きながら、午後は練習に打ち込む日々を送る。

 そんな杉野は出生時にすでに5000グラムを超える超巨大児で難産だったことから、左腕に障がいを負った。腕は曲がるが、ピンと伸ばすことはできない。指は開かないが、物を挟むことはできる。「子どものころは障がい者だからという感覚はなくて、これが普通でした」と話す杉野。中学で出会ったバドミントンで健常者と混じって夢中になっていくが、特に目立った成績を残したわけではなく、純粋に部活を楽しむ生活を送っていた。

 転機になったのは大学3年。はじめて出場したパラバドミントンの国際大会で、世界のプレーを目の当たりにした。自分とは違う障がいを持つ選手、同じような障がいでも違うプレースタイルを持つ選手。自分の体を理解したうえで戦う姿を見て、“勝ちたい”という意欲がかき立てられていった。

「それまで健常の大会に出ているときは、障がいがあってもできるんだという気持ちもあれば、負けたら“障がいがあるから仕方ない”と言い訳している自分がありました。でもパラバドでは言い訳ができないんです。シンプルに勝ち負け。負けたら自分が弱いだけ」

 その後、数々の国際大会でメダルを獲得する選手に成長した。

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著者プロフィール

大阪府出身。フリーアナウンサー、スポーツライター。四国放送アナウンサー、NHK高知・札幌キャスターを経て、フリーへ。2011年に番組でパラスポーツを取材したことがきっかけで、パラの道を志すように。キャッチコピーは「日本一パラを語れるアナウンサー」。現在はパラスポーツのほか、野球やサッカーなどスポーツを中心に活動中。

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