福岡の選手たちが高校生へエールを送る 高校サッカーかユースか、それぞれの選択

中倉一志

厳しい世界で切磋琢磨したかった 駒野友一の場合

駒野は選手権に強い憧れもあったが、プロになりたいという意識でユースを選択(写真は2001年) 【写真:アフロスポーツ】

「最初は高校に行く予定でしたが、(サンフレッチェ)広島のスカウトの方にオファーをいただいたので、プロにより近いという理由で広島のユースでサッカーをすることを選びました」

 そう話すのは駒野友一。ただ、選手権には強い憧れもあったと言う。
「憧れはすごくありました。当時も今も、選手権は注目される大会ですし、地元であれば1回戦からテレビ中継もあります。やはり憧れますよね」

 それでも最終的にユースクラブを選んだのは、プロになりたいという意識が明確だったからだろう。そのために、よりレベルの高い場所で技術を磨く道を選んだ。

「注目度という意味では選手権の方が高いし、ユースの大会はテレビ中継がないだけではなく、その情報さえも全国で取り上げられることが少ないですよね。けれども、高校の部活でサッカーをやるよりは、ユースクラブに入って、もっと厳しい世界で切磋琢磨(せっさたくま)して、いい刺激を受けてトップチームにいきたいと思っていました」

 広島ユースに進んだ後、駒野は高校3年時に2種登録され、高校卒業とともに広島とプロ契約を結び、ルーキーイヤーからリーグ戦24試合に出場。日本代表選手としてワールドカップに2度出場した実績を見れば駒野の選択に間違いはなかった。「今だから言えることかもしれませんけれど、ユースに行って良かったと思っています」と本人も話す。

 プレーする場所が問題なのではなく、自分の目標をしっかりと持てるかどうかが大切だということなのだろう。

高校サッカーは選択肢になかった 坂田大輔の場合

横浜F・マリノスユース出身の坂田は、「プロになるまでの過程が大切」と語る(写真は2001年) 【写真:アフロスポーツ】

「中学校からクラブチームでやってきたので、自分の中では高校サッカーというよりも、ユースに上がってプロに行くという道が身近だったし、目指している場所だった」

 そもそも、高校サッカーは選択肢になかったと坂田大輔は話す。

 高校サッカーを選んだ選手たちも、ユースの道を選んだ選手たちも、2つの道を比較して、よりよい道を選んだというわけではない。自分の中に進むべき道があり、そこへ向かって真っすぐに進んでいく。坂田の場合は、それがユースクラブだった。

「ジュニアユースでは同期は10人くらいいましたけれど、その中からユースに上がれるのは2、3人くらい。ユースへの昇格が決まっているのに高校からオファーが来て悩んでいる選手もいましたけれど、自分はユースしか考えていなかったし、ユースに上がれると聞いた時はすごく喜びでしたね」

 まだ、身近な存在でプロになった選手はいなかったが、ジュニアユースからユースに昇格して活躍している選手が憧れだった。そんな選手に付いていきたいと思っていたと話す。

 そんな坂田が高校年代のサッカープレーヤーに送る言葉は、自分が選んだ道を大切にしてほしいということだ。

「育ってきた環境によって、持ち味は違います。でも、そういった異なる個性を持つ選手が集まっていろいろなチームができるもの。ユースであれ、高校であれ、プロになるまでの過程を大切にし、プロになった時はそれを生かしてほしいと思います」

 選んだ道が大事なのではなく、どのように積み重ねてきたかが大事。高校時代を振り返る坂田の表情は、そう語っているように見えた。

1日でも早くプロになるため 冨安健洋の場合

話を聞いた6人のうち唯一10代の冨安は、1日でも早くプロになるためにユースを選んだ 【Getty Images】

 選手権は、まったく視野には入っていなかったと話すのは冨安健洋。プロを目指すという思いはこれまでに紹介した5人と同じだが、その気持ちは5人と比較しても非常に強かった。

「選手権の舞台に立とうという気持ちは、ゼロでした。シンプルに1年でも早くプロになりたいという気持ちがあり、それを実現するためにユースに進みました」

 特長的なのは、ユースで3年間かけて力を蓄えるという選択肢もなかったということ。とにかく1日でも早くプロ契約を獲得するための選択だった。その結果、高校2年生で2種登録選手となり、その夏からはトップチームに完全合流。高校3年生になる年にプロ契約を勝ち取る。そして、ルーキーイヤー(2016年)の2ndステージ第3節のFC東京戦でJリーグデビューを果たすと、以降、カテゴリー別の代表活動でチームを離れるとき以外は、ほとんどの試合で先発フル出場を果たしている。

「トップチームに合流してから試合に出るまで1年かかりましたが、高校2年時の半年間がなければ、今も試合に出られていないと思います。プロとしてプレーするためにユースに進んだという選択に間違いはなかったと思っています」

 Jリーグが始まってから24年。かつては選手権で活躍することが多くの高校生の夢だったが、時代と環境の変化により、これからは冨安のような選手が増えてくるのかもしれない。

大切なのは場所ではない

今年も選手権の季節がやって来る。選手たちには自分を信じて精いっぱい戦ってほしい 【写真:アフロスポーツ】

 6人に共通するのは、それぞれの選択がプロになるためだったということ。そして高校サッカー組も、ユースクラブ組も、プロとしての実績と経歴を積み重ねてきた。それを振り返る時、高校年代のプレーヤーにとって大切なことは、どこでプレーするのかということが大事なのではなく、どのように取り組んだのかが大事であることが分かる。

 岩下が言うように、プロを目指す選手にとって、チームメートの価値観が違う高校の部活でプレーすることは難しさが伴うかもしれない。だが、そもそもプロに入ってもサッカー観はそれぞれが違う。異なる価値観の仲間と同じ目標を目指すというのは、その後のサッカー人生のプラスになることはあってもマイナスになることはない。

 また坂田が話すように、高校には高校の、ユースにはユースの持ち味がある。それらは個性と呼べるもので比較できるものではなく、ましてや、どちらが優れているというものでもない。自分が身を置く環境で、どれだけ多くのものを吸収し、それを自分の物にしていくことが大切であることは、どちらに所属しても変わるものではない。

 そしてどちらの道を選んだにしても、すべてのサッカー選手がプロに進めるわけではない。けれど、自分が置かれた環境の中で、最善の努力を尽くした日々は決して無駄にはならない。どんな道に進むことになるにせよ、その日々は確実に自分の力となり、その後の人生の大きな力となるはずだ。

 そして、今年も選手権がやって来る。それぞれの価値観は違っても、勝利を目指して戦う気持ちは同じ。そんな選手たちに6人が送る共通するエールは、自分を信じて精いっぱいに戦うこと。

 1人1人の選手にとって悔いのない大会になることを願ってやまない。

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著者プロフィール

1957年生まれ。サッカーとの出会いは小学校6年生の時。偶然つけたTVで伝説の「三菱ダイヤモンドサッカー」を目にしたのがきっかけ。長髪をなびかせて左サイドを疾走するジョージ・ベストの姿を見た瞬間にサッカーの虜となる。大学卒業後は生命保険会社に勤務し典型的なワーカホリックとなったが、Jリーグの開幕が再び消し切れぬサッカーへの思いに火をつけ、1998年からスタジアムでの取材を開始した。現在は福岡に在住。アビスパ福岡を中心に、幼稚園、女子サッカー、天皇杯まで、ありとあらゆるカテゴリーのサッカーを見ることを信条にしている

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