女子ボクシング2人目の5階級制覇 藤岡奈穂子が歩んできた道こそ偉大だ

船橋真二郎

長く競技を続けるつもりはなかったが

2011年にWBC世界ミニフライ級王座を奪取して以来、藤岡は日本の女子ボクシングをけん引してきた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 約10年、国内無敵のトップアマチュアとして国際大会でも活躍後、今もコンビを組む柴田貴之マネジャー兼トレーナーに誘われて上京。プロデビューは34歳と遅かった。長く競技を続けるつもりもなく、2年足らずで決まった初の世界挑戦が競技生活の締めくくりになる、そんな気持ちもあったのだという。

 だが、その前日計量を終え、翌日の本番を待つばかりだった2011年3月11日、東日本大震災が発生。後楽園ホールで予定された興行は中止になる。ボクシングどころではない非常事態だった。関係者の尽力で仕切り直されたのが2カ月後。8回終了TKOでWBC世界ミニフライ級王座を見事に奪取した藤岡の胸にあったのは、被災した故郷への思いだった。2度目の防衛戦は、後援者の協力で宮城・大崎市古川総合体育館で実現。凱旋(がいせん)勝利を飾っている。

 女子ボクシングを盛り上げようと友人でもあった当時のWBA女子スーパーフライ級王者、山口直子(白井・具志堅)と共闘し、新たな挑戦が始まるのは13年11月のこと。3階級上の強打者・山口への挑戦は型破りだったが、鮮やかなダウンを奪った末の判定で2階級制覇を果たした。翌年の初防衛戦では、関西の新鋭として台頭していた川西友子(大阪帝拳)との好カードを実現させ、これにも判定で勝利。いずれの試合も、その年の女子年間最高試合に文句なしで選ばれる熱戦だった。

 山口、川西は、藤岡との試合を最後に引退。盛り上げたいと好試合を提供する一方で貴重な人材を失う矛盾に苦しんだこともあった。だが、藤岡は2人の思いも背負って、5階級制覇を掲げ、国内外を問わず、階級を上げ下げしながら、チャンスを求めて戦い続けた。並行して、思いを共有したトップ選手たちとボクシング女子会を立ち上げ、ジムの垣根を越えた選手間のコミュニケーションの場をつくり、合同練習会を開催してレベルアップを図るなど、率先して女子ボクシングを引っ張ってきた。

亡き母に捧げる勝利「続けてきて良かった」

「難しい壁だと思っていたので達成できてうれしい。ここまで続けてきて良かった」と感慨を込めた言葉の裏には、今年3月、4階級制覇を決めた試合直後に亡くなったという母への思いがあったに違いない。ドイツで3階級制覇に挑み、初黒星を喫したときは引退も考えた。故郷で長く闘病を続けていた母からは「早く辞めて帰ってきてほしい」と言われることもあったが、娘の迷いを思いやったのだろうか、このときばかりは「もう少し続けてほしい」と背中を押してくれたのだ。

「天国でも心配しているんだろうな、と思いながら。今頃、ホッとしていると思います」

 本場の米国で試合をできたら、という夢もある。10月下旬の開催を目指しながら、対戦相手との交渉がまとまらず、取りやめになった故郷でも「この流れでできたらいいな」という気持ちもある。だが、「今は何も考えられない。とりあえず、浸りたいです」と笑った。

 このほど地元に続き、東京にも後援会が立ち上げられたのだという。5階級制覇という結果はもちろん偉業だが、多くの人たちの心を動かしながら歩んできた道のりこそが偉大なのだと、あらためて感じた。

2/2ページ

著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント